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ドアノー写真展へ

仕事と仕事の合間に時間を作って、
本日から始まる「写真家ドアノー 音楽 パリ」という写真展へいきました。(@Bunkamura)

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ロベール・ドアノーは、前から好きな写真家です。
写真展に入ると、あまりに素敵な写真が並んでいて、すぐに涙腺がじわっとし始めました。
ほんと素敵な写真が並んでいて。

僕がドアノーをはじめてみたのは、
「ドアノーの贈りもの 田舎の結婚式」という写真集です。

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「ドアノーの贈りもの 田舎の結婚式」(Amazonへリンク)
https://www.amazon.co.jp/dp/4309274412/
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ぱらぱらとページをめくってすぐに、「他と違う」と感じました。

ドアノーの写真は、被写体が生活している様子が、なぜかはっきり見えるような気がするのです。
50年前のフランス・パリの生活が、「静止画でなく、動画として」そこに提示されているような。写真が「動いて」いる、と言えばいいのでしょうか。

ただ、「写真が動いている」というと、
走っている人やF1レースを撮影するように、
「残像が残る写真」をイメージする方もいるかもしれません。

でも、そういう「動く」ではなくて、

たとえ、ゆったり座っている人の写真であっても、
彼の写真を見ていると、動いて見える。
それは、何人もの被写体たちが、彼らの都合で、
あちこち別の方向に視点を合わせている様子が、
「その場」のリアリティを生んでいるかもしれないし、

(写真の多くは、写真自体を絵画のように
 均整のとれた美しさとして表現すると思います。
 ドアノーの写真にもそういう写真はあるけれど、
 そうではない、素朴さを感じさせるような写真がたくさんあります)

あるいは、
しっかりと被写体に合わせられたピントのおかげで、
「写真の奥」に世界がそのまま広がっているように
感じられるからかもしれません。

(ピントが会うなんて、あたりまえに思うかもしれないけれど、
 50年前のカメラなんて、ピントを合わせるのも、明暗を合わせるのも、そもそも写すこと自体、すごく技術がいることです。それであそこまでカリカリにピントが合っているのは、すごいと思う)

それで、彼の写真を見ると、ありありと、
「写真を撮った時の風景を、瞬時に思い描いてしまう」のでは。

写真展では、たくさんの写真が壁に並びますが、

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まるで、40年前50年前のパリにつながっている
「タイムマシーンのような小窓」が
壁にたくさんあるような錯覚すら感じるほどです。

ポスターにあるような「一人の被写体」の写真も素敵ですが、
それより僕は、「たくさんの人が写っている写真」に
あらためて魅せられました。

だから・・・残念ながら、ポスターを見ても、ドアノーの魅力は伝わらないと思うのですが、写真とか絵画とか、好きな人には、是非オススメしたいと思って、文章をしたためました。
とってもおすすめです。


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