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【全10回完結】人の流れを再構築する、小さな実践について

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人の流れはどのようにして新しく、懐かしく再構築できるのだろうか?その大きな問いに対して、小さな実践を綴ったこのマガジンは、2018年6月までの全10回完結。自身の生い立ちから有料… もっと読む
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#福祉

その9、”それっぽいコミュニティ”ではなく、”確かな文化をつくる”ために

私という存在、媒介者がおらずとも、場に集うそれぞれがそれぞれに反応していった結果「こんな文化ができていた」。そんな光景をつくらないと、本当の意味での持続性が生まれないと思っていた。だから長崎二丁目家庭科室を始めたときから、どんな仕掛けが必要かを日々考え続けていた。 時が経ち、2018年2月ごろ、インタビュアー/IT時代の編集者、くいしんさんのツイートに反応して、こんな返信をした。 文化ってなんだろう。調べていて、今回書きたい内容ととっても近いなと思ったものを紹介します。

その8、「人に関心がない」、世界で一番幸せな国のからくりで導き出されたもの

「福祉の再構築」という言葉を私に気付かせてくれたのが、北欧デンマークという国で見聞きしたことだった。このタイトルに対する考えとしては、 ①幼児期から鍛えられる対人メンタル ②手は離さないけど、自己責任 ③幸せの定義は物質的から精神的なものへ、と3つ。 かの国で、頭をガツンと打たれたような、でも肘をたたくような感覚を覚えた「人」に対する根本的な考えについてこのマガジン内でしっかり残しておきたい。 ①幼児期から鍛えられる対人メンタル2015年、デンマークにてあるスタディツアーを

その7、福祉に必要なのは「自分の行動を疑える」人

自分の行動をいかに客観的にみれるだろうか。そもそも私がずっと言い続けている「福祉の再構築」という言葉を共に捉えて仕事がしたいなと思える「人」を語るのならば、「自分の行動を疑えているか」、その思考と行動が合わさっている人と仕事がしたいという話。①人は行動しかみない(みえない) ②働き手の生き方を問うリアリティさ 、と分けて書きたい。 ①人は行動しかみない(みえない)そりゃそうだ、と思うかもしれない。例えば注文を受けてから15分でオーダーを提供できた、システム開発の設計を作った

その6、福祉を「仕事」とみると課題すらみえてこない

行政に関することを綴っておきたい。結論としてはタイトル通り。つまり暮らしを一本道にして考えていこうよ、ということ。ひとつは2年間の任期で「外部評価委員」として福祉・子育て・教育・くらしを横断したのべ62の事業評価を横行なった経験から。もうひとつは、半年間に渡り、一人暮らし高齢者の家を訪ね広報誌を届ける見守る係を担った経験から。 ①縦割りに”暮らしの”メリットはない ②「玄関先まで」が止める生身の関わり、最後に ③あとほんの少しだけ「公」と「私」を行き来して というところまで。

その5、「逃げる」ために、私は「混ぜる」選択をする

「逃げる」ことは決してネガティブではない。その対象が死や老いであってもそうだと信じている。本人にとって、自分の寿命を感じていくことは限りなく苦行だろうと思う。そしてそれは決して他人と分かち合えるものではないし、しなくてよいものだと思う。だから「混ぜる」ことで「逃げる」、逃げられる環境を用意することくらいは、せめて用意したいと思っている。今回は大きくわけて ①直視しなくていい余白をつくる ②「ただいま」「おかえり」だけで十分 ③もう一度言う、支える発想から共に生きるという発想

その4、その言葉、その姿勢は目の前の人の「自立」につながっているのか

ちょっと刺激的だけれど、一番根っこにある考え方を。3つに分けて ①昼間と夜間の圧倒的な違い ②人生の主役は「当事者」か「支援者」か ③生への納得感を生むために ということから、今考えていることを言語化していきたい。 −−−−− ①昼間と夜間の圧倒的な違い”優しさ”の怖さについて常々感じてきた一方で、ある一定の期間、優しさとは無縁の生活を送って来たことを思い出している。私は三重県のある夜間定時制高校出身者だ。その高校名を聞くと、10人中10人が驚く。「え!あそこって卒業生い

その3、なぜ「多世代交流」を表立って使わないのか

場所の目的は、訪れた人が定義づければよいと思っている。問いの答えは「多世代交流」や「地域福祉」「障がい者との触れ合い」などは場が生み出す結果にすぎないと考えるから。だから「長崎二丁目家庭科室」は、多世代が交流するという言葉ではなくて、まちに住む人たちが役割を持った結果としてそうなっていたのだ、という表現をすることに落ち着いた。ここでは福祉にありがちな表現や切り取り方について考えることとしたい。 ーーーーー ①誰もが、の”誰は”誰? 誰もが、の”誰は”誰? 《誰もが〜》、

その2、アウトプットとアウトカムをきっちり言語化する

正直いって、なんだかぼんやりしがちな”居場所づくり”。どんな結果を持って成功というかを予め決めておくとよいと思う。(安易に”多世代交流の場作り”で終わってはいけない。)結果を計るには「アウトプット」と「アウトカム」の二種類がある。ここでは、アウトプットは”事業の成果物、事業量”、アウトカムは”事業によって生じた状態”のことを指すという前提で話を進めたい。 ーーーーー 何を言いたいかというと、 ①結果をつくるには仕掛けしかない ②アウトプット(成果物)なしに”現場”は伝えられな

その1、 「長崎二丁目家庭科室」のつくりかた

2017年4月に、東京は豊島区、椎名町という場所で「長崎二丁目家庭科室」をつくった。 まちに飛び出した「家庭科室」で世代をつなぎ、それぞれの年代に合わせた健康の保ち方を学んだり、介護・福祉についてまちの人たちが知るきっかけをつくる場所。 0歳から80代まで、徒歩圏内・自転車圏内のまちに住む住人が、毎月平均のべ100名が様々な習いごとや催し物に参加してくださった。 ーーーーー 結論からいうと、①誰に届けたいのか ②誰とやるのか。この2点の結果で「長崎二丁目家庭科室」をつ