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8、1人1人が演劇的な要素を身につけたら、きっとケアの現場が変わる #老いと演劇

ガツンと頭をうたれたような、過去の経験を真っすぐ肯定されたような。9月2日、「老いと演劇」ワークショップに参加してきました。OiBokkeShi主宰、菅原さん監修のブリコラージュ Vol.255 2018年 夏号(8・9月)の表紙の写真です。この短期間に、何度読んだかわかりません。

OiBokkeShi主宰、菅原さんの活動は、この記事、演劇は“違う世界を見ている相手”に寄り添う知恵を与えてくれる|「老いと演劇」OiBokkeShi(オイボッケシ)菅原直樹【アートに学ぶ#7】で初めて知りました。

「俳優で介護福祉士」という肩書きがとても印象に残ったのを覚えています。

淡々と、時に小気味好い例え話を交えてお話しされる菅原さん。ワークショップに参加した30名強の方々とともに一気に引き込まれていきました。

講演、ワークショップを通して特に印象深かったのは、

・ボケを否定するのか、ボケを受け入れるのか。「関わり方」は変えられる

というもの。

ゆるやかに老いていく対象者に対し、それをどう受け入れるのか。人は常に成長すべきもの、という考えを横に置いて考えてみる。そうすると、目の前の人、一人一人によって関わり方は必ず変わってくるはずだと菅原さんは言います。

認知症になったとしても、「人格」は残っている。例えば、人を想いやる気持ちであったり、人の役に立ちたい、立てることができたら嬉しい気持ちになるなど、変わってはいないもの。
認知症の方の気持ちを察し、見守る姿勢を持とう。

私は2010年に50人規模の有料老人ホームを立ち上げ、その全員の入居に関わりました。もちろんご本人にも、ご家族が居ればそのご家族にも。認知症の症状が出始めた父・母に対し、時には落胆しもう家族ではないと泣き崩れるご家族の姿もみてきました。
そんなご家族の様子をみていたからこそ、目の前の入居者の方が発する言葉を聞き逃さず、時には先生と生徒役をしたり、買い物をするといって施設をぐるぐる一緒に廻ったり。そっと沿う関わりを心がけ、小さな変化があればそれをご家族にお伝えしたりと、そんな関わりを持っていたこともありました。

ただ、当時は介護職からは不思議な目でみられていたことも確かです。入浴や食事準備、食事介助、排泄誘導に追われてしまう介護職は、認知症の方の言動に沿う時間が限られていることもまた事実ですから・・。

そんな介護職からの目もあり、当時は「本当に、こうした関わり(私はこの方に嘘をついているのだろうか?それは果たしてよいのだろうか?)はいいのだろうか?」と自問自答したこともありました。

今回の「老いと演劇」ワークショップでは、当時の自分の行動がフラッシュバックし、今振り返って、ああ、あれできっと良かったのだな、と思えるようになったことは、私にとってとても、とても貴重な体験だったと思っています。

とにもかくにも、ケアの現場に感性を育てる余白が少なすぎる気がします。三大介護(入浴・食事・排泄)”だけ”が介護ではない。でも現場はこれに追われて、暮らし・個々人を尊重し見守るという視点がすっかり抜けてしまっている。これは切実に、福祉の環境の設計から、変えていかなればいけないと思っています。

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菅原さんが責任編集されたブリコラージュ、引用したい箇所がとても多くて載せきれないほどです。ぜひ多くの方に読んで頂きたいなと思います。ぜひぜひ。


藤岡聡子
株式会社ReDo 代表取締役/福祉環境設計士
info(@)redo.co.jp
http://redo.co.jp/

私、藤岡聡子については、下記記事を読んでみてください。
・灯台もと暮らし
【子育てと仕事を学ぶ #1 】藤岡聡子「いろんなことを手放すと、生死と向き合う勇気と覚悟がわいてきた
月刊ソトコト 巻頭インタビュー
・soar
「私、生ききった!」と思える場所を作りたかった。多世代で暮らしの知恵を学び合う豊島区の「長崎二丁目家庭科室」

おまけに:
読み物:人の流れを再構築する、小さな実践について|藤岡聡子
人の流れはどのようにして新しく、懐かしく再構築できるのだろうか?その大きな問いに対して、小さな実践を綴っているマガジンもあります(本音たっぷりで書いています。)