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その3、なぜ「多世代交流」を表立って使わないのか

場所の目的は、訪れた人が定義づければよいと思っている。問いの答えは「多世代交流」や「地域福祉」「障がい者との触れ合い」などは場が生み出す結果にすぎないと考えるから。だから「長崎二丁目家庭科室」は、多世代が交流するという言葉ではなくて、まちに住む人たちが役割を持った結果としてそうなっていたのだ、という表現をすることに落ち着いた。ここでは福祉にありがちな表現や切り取り方について考えることとしたい。

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①誰もが、の”誰は”誰?


誰もが、の”誰は”誰?

《誰もが〜》、という言葉はちょっと嘘っぽいと思っている。福祉や介護、まちづくりではよく目にするフレーズだ。その”誰”は一体誰なのか。当たり障りの無い内容や、誰もが公平に公正にというアプローチは行政始め多くの人が実践している。(もちろんそれらを否定するつもりはないことは述べておきたい)

「ここは多世代交流カフェである」のように、場の役割だけを明文化しすぎてしまうと、余白が生まれない。

場所の名前そのものが来る人の目的をあらかじめ決めてしまっていて、予防線を張りまくってしまっている。そしてそのだいたいにおいて、内容が一方通行のことが多い。触れ合いだとかお茶をするもよいが、せっかく同じ時間を使うのならば、さらにそこから一歩踏み込み、目の前の〇〇さんのそれぞれの内側に沿い、その人が何らかの方法で社会とつながるきっかけや役割を自ら見いだして欲しいと思う。
何でもよいのだ。ただ存在するという役割だって、素晴らしい役割だ。

誰もが、という言葉を安易に使うべからず。


だから、誰もが、ということはなく、土地や年齢や対象者も予め意図して仕掛けてしまう。

だから《まちの家庭科室》ではなくて、「長崎二丁目にある家庭科室」と名称をローカライズした。もっともっと目線がローカライズされて、そしてその考えが広がれば、より小さな編み目で地域を考えられる人が増えるはず。傍目には贔屓目ににみられるかもしれない。でも私はそうして出会うひと達から生まれ広がる光景を作り出したいと思うのだ。

②優しさのもとに人間くささが排除される


介護って、ふわっとしていそうか?福祉って、優しさなのか?弱き者を助けるヒーローなのか?色でいうなら、優しいピンクかベージュあたりか?
この問いの答えはNOだ。
これほど人間くささを目にする関わりはない。そして人間くささは闇が多い。誰しも光輝くものばかりを持っているわけではないのだから。
2010年に老人福祉の世界に飛び込んだ時から、こんなに人間くさい関わりはあるのだろうかというリアルさに、息苦しさも相当なものだった。そして人間くささの闇の中にある光を一瞬かいまみた時に仕事を続けられる希望を抱く、その連続だった。だから、一度老人ホームの”現場”を離れ子育てをしながら福祉や介護、医療の業界の捉え方がいかに”優しく”表現されていることに違和感を感じたのだった。そんな簡単なものではないのだから。

だからより、一言で、しかもわかりやすく切り取られる福祉や介護をやめたいと思った。あくまで日常の暮らしの中で存在するものなのだという表現が必要だと感じ続けている。

③支える発想から共に生きるという発想


人の助け・支えがいる人と、支える人。この両者の意識下には圧倒的に差がある。一方は申し訳なさや情けなさがあり、一方はそうではない。ここに”優しさ”の怖さがある。この怖さを越える発想は、「分けるから混ぜる」である。ケアされる人とケアする人だけにしない。これは次回に続けていきたいが、そうすると人間くささが際立つようになる。さらに「同じから違う」。ここまでしてようやく、ハリボテではない自然な「多世代交流」となるのだろう。
極端なことをいうと、福祉や介護、医療の名の下に、人間くささも置いてきぼりになり、管理されやすい”高齢者”へとなってゆく。目を背けるなかれ、これが今の日本の大勢の高齢者が置かれる環境に他ならない。
これは今の介護業界の多くが提供しがちである画一的な介護サービスへの抵抗かもしれない。

次回はもうもう少し踏み込んだ、「分けるから混ぜる」、「同じから違う」という中で過ごした私の高校生時代に経験したものから、今の頭の中を言葉にしていきたい。

(2019.5.3 一部修正しています。)

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このnoteは、2018年6月ごろまでの私の頭の中の備忘録です。
自身の生い立ちから有料老人ホームの立ち上げ・運営、
デンマークへの留学、「長崎二丁目家庭科室」の運営などから、
福祉の再構築という大きな問いへの小さな実践を残します。
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私、藤岡聡子については、下記記事を読んでみてください。
・灯台もと暮らし
【子育てと仕事を学ぶ #1 】藤岡聡子「いろんなことを手放すと、生死と向き合う勇気と覚悟がわいてきた
・月刊ソトコト 巻頭インタビュー
・soar
「私、生ききった!」と思える場所を作りたかった。多世代で暮らしの知恵を学び合う豊島区の「長崎二丁目家庭科室」
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