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その8、「人に関心がない」、世界で一番幸せな国のからくりで導き出されたもの

「福祉の再構築」という言葉を私に気付かせてくれたのが、北欧デンマークという国で見聞きしたことだった。このタイトルに対する考えとしては、 ①幼児期から鍛えられる対人メンタル ②手は離さないけど、自己責任 ③幸せの定義は物質的から精神的なものへ、と3つ。
かの国で、頭をガツンと打たれたような、でも肘をたたくような感覚を覚えた「人」に対する根本的な考えについてこのマガジン内でしっかり残しておきたい。

①幼児期から鍛えられる対人メンタル

2015年、デンマークにてあるスタディツアーを私用にアレンジを依頼し、下記のように廻った。滞在はクローロップにあるフォルケホイスコーレ。ツアー以外の時間はフォルケホイスコーレにて授業をとり通う生徒たちと対話の時間をとり、その後場所をコペンハーゲンに移し、しばらく住人のように暮らしてから帰国した。

この表をみてわかる通り、若者の社会参画を推進する団体の訪問に始まり、国会議員との面会、政党の本部との面会、幼児教育施設(森のようちえん)、コペンハーゲン市役所・健康病気課、老人ホーム、障害のある人が通う施設、市議会教育委員長で元議員との面会、難民支援コミュニティ本部への訪問と、幼児期から老年期を一本道にして見聞きしてきた。

その中でこの国の特徴として大きな点としては、幼児期から鍛えられる、対人メンタルだということだった。幼児期から手厚い福祉の元、生後6ヶ月からの保育園(デンマークでは共働きが前提)が出生者全員に保証されるだけでなく、その保育の質についても一貫して、「こどもも教育者も対等である」という考えが根強い。教育者の発言や言動が絶対的なものではなく、幼児(乳幼児でさえも)が決めることが一番に優先される。もちろん倫理的なことや物理的に難しいことはさておいたとしても、特に3才〜4才ごろからは保育中の自然環境の散策から動物の死骸について子たち同士での議論は当たり前に行なわれているという。

絶対的に指示する人がいない代わりに、頭を使い自分の意見を相手に届けるにはどうするのか。幼児期から互いにこのトレーニングを行なう。人に対するメンタル、つまり自分と、自分以外の他人の存在についてどのように向きあうことが必要なのか確固たるものを模索しながらも、確実に他者との関係性を築いていく素地が身に付けていくのだ。

②手は離さないけど、自己責任

こうして子どもの周りにいる大人たちは子どもに任せて何もしていないかというと、そうでもない。手は離さない。その最たる例は、制度づくりと、制度を決める現場である政治に積極的に参画する国民がいる。
この国は消費税率が25%と税金が高い。しかしこの国はこうした税の分配についてとても生活者の目線に近い。

投票率は地方選挙・国政選挙であっても軒並み70%以上であり、教育の現場にはそれぞれの政党やそれに所属する若者が訪れ、政党の考え方や実績、政党へのリクルートなどが珍しくない。

むろん教育に関する学費は無料。(ただし保育園期間は家庭によって費用がかかる)、不登校状態になれば何人が集まれば学校そのものが設立できてしまうし、そもそも学歴に固執する国民性ではないから学び方も自由だ。失業すれば手厚い訓練学校やその間の生活資金はほぼ十分に保証される。障害者であっても働き自立する意思があればそのための訓練、その訓練に必要な人材の育成や質も大変評判が高い。病院、介護、あらゆるセーフティネットが網羅されている。(詳しくは色々な文献で発表されているのでそちらを参考に。私は見聞きしたことのみ綴るので)。
こうした暮らしに直結する制度づくりに積極的に関与することで、結果的に自分たち国民1人1人の自己決定を後押しする

一方で、離婚率でいうと2組に1組は離婚しているし、家族関係でいえば遅くとも18才で完全に一人暮らしを始め家族はバラバラに暮らし始める。親の介護は他人が行なうものであるという考えがあり、日本では今でも一般的な”介護は家族がする方がいい”という考えは非常に少ないのだ。(実際に見聞きした住民たちはほとんどが口を揃えていっていた)

自己決定を後押しするために手厚い部分と、選択するのは個人の意志であり責任をもつべきであるという考えが非常に強い国。人によっては、ちょっとドライだなと感じることも多々あるかもしれない。

③幸せの定義は物質的から精神的なものへ

その4、その言葉、その姿勢は目の前の人の「自立」につながっているのか で少し紹介をした、デンマークの介護3原則をもう一度。①、②と読み進めるとよりわかってもらえると思うが、介護、つまり老いていく暮らしの中でさえも、最も重要視されるのは、「自己決定」なのだ。そしてこれは自己決定ができるまで対人メンタルを鍛えきた幼児期があるからこそ機能するのであり、日本がこれだけを取り入れようとしてもどこか空回りしてしまうだろう。何よりもこのデンマークの介護3原則。高齢者である当事者らが対話を通して決定した事実がある。(※1)

一番わかりやすい例でいくと、デンマークには「胃ろう」をつけた高齢者はほとんどいない。口から食べられなくなった高齢者や病気、障がいのある人たちの代替栄養摂取の方法として、胃に直接栄養を流し込むのが胃ろうだ。延命治療日本でも近年数字は少なくなってきたものの、まだまだ根強い支持もある。
何を言いたいかというと、本人の意思が「口から食べられなくなったら、人生を終えるときだ」という意思が示され、それに沿うためだ。
さてこのこの意思の示し方も、幼児期から自らの考え方や生き方について人と話すトレーニングが行なわれているからこそ、カンファレンスでもきちんと明確に本人が示すことができるのが前提なのである。
日本ではこのカンファレンスでさえ、本人不在で進められることがほとんどだ。

福祉の現場を横断して見聞きしながら、老い方、生き方を自分で決める国は、幸せの定義が物質ではなく精神的なものに寄っていくのだ、と感じた。今日も太陽の下で過ごせた、今日も自分の時間を持ちゆっくり過ごせた、などとまずは自分ありきの発想が根底にある。他人と比較する、などといった他人が判断基準となる発想をしないのだ。人に関心がない、だけど「自分が幸せになることに関心がある」。

そんなわけで、デンマークで見聞きし感じたことを一言で表現したのが、「福祉の再構築」だったわけだ。
2010年に飛び込んだ、老人福祉の世界だけをやるのではなく、幼児期から老年期、ぐるりと混ざった環境でこそ、1人1人が自分の命をいかに全うしていくのかを問い続けられるのではないか、それこそが人生において最も重要な事なのではないだろうか、と思っているからこそ、分断された福祉ではなく、「福祉の再構築」を、人生かけて問い小さな実践を繰り返していきたいと思っている。

さてデンマークの高齢者福祉については、こちらのサイトで詳しく記事になっているので、参考までに。(執筆・撮影は全て私です。)

【老い方は自分で決める国・デンマーク便り】
■Vol.1 先回りしない介護の考え方とは
■Vol.2 光が射す高齢者が住む場所
■Vol.3 高福祉の要・高齢者委員会制度とは
■Vol.4 デンマーク人はこうして年を重ねる
■Vol.5 デンマークの高齢者が学び直せる場とは 

(※1)1979 年に国会で高齢者政策委員会が設立されると同時に、デンマーク全市町村に 100 以上の市民グループが立ち上がり、高齢者自身が自分たちの老後のあり方について議論する場が設けられました。その場において、「自分たちが受けたい介護とは?」の対話が重ねられた結果、現在の介護 3 原則(高齢者福祉 3 原則)の土台となる考えが生まれたのです。(【老い方は自分で決める国・デンマーク便り】■Vol.3 高福祉の要・高齢者委員会制度とは より抜粋)

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さて、このマガジンで綴るのも残り1ヶ月をきってきた。残り2回ほどは書けたらなと。次回は、最近最も関心のある、「コミュニティより文化をつくること」について綴ります。


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このnoteは、2018年6月ごろまでの私の頭の中の備忘録です。
自身の生い立ちから有料老人ホームの立ち上げ・運営、
デンマークへの留学、「長崎二丁目家庭科室」の運営などから、
福祉の再構築という大きな問いへの小さな実践を残します。
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私、藤岡聡子については、下記記事を読んでみてください。
・灯台もと暮らし
【子育てと仕事を学ぶ #1 】藤岡聡子「いろんなことを手放すと、生死と向き合う勇気と覚悟がわいてきた
・月刊ソトコト 巻頭インタビュー
・soar
「私、生ききった!」と思える場所を作りたかった。多世代で暮らしの知恵を学び合う豊島区の「長崎二丁目家庭科室」
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