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誰かに自分の時間を委ねる、という小さな勇気の重ね方は、ひとを優しくさせるのかも。なんていびきかきながら思っていた。2023.2.3

子育てを始めて10年、3人の子育てをする時間はあっという間に過ぎ、それまでに何度となく海外に出たことはあっても、子ども連れだったり、仕事の予定がたっぷり入るなど、何かしら急ぎ足すぎていた。

昨年ふと10年目を迎えたあたりから、自分のバランスが少しずれてきたように感じ、これはあんまりヘルシーでないなと思い始めた。母である私と私だけである私のぶつかり合いが始まってしまったのだ、とやや落ち込みながら暮らす日々だった。

年明けからしばらく、娘とともにアジアの港町に滞在した。
現地での訪問を含めて、日本の仕事はずっと並行していたけれど、それでも自分が持てる時間が格段に多く、その分の時間のありがたさをヒシヒシと感じるような、何かが手元に返ってくるような感覚を受け始めた。

港町を離れる最後の日、ひょんなことで在住日本人の方と巡り合わせる。共通の友人がおり偶然とは思えないほど関心ごとが合う。朝に一緒にヨーガのクラスを受け、また夕方に再会。彼女のサウンドバスのセッションに向かう道中もありとあらゆる話をした。

あまりにうつくしいwell being拠点で、そのサウンドバスのセッションは開かれた。ローカルの人たちが何人も集まってくる。身体の芯にくる音の揺れに、ひたすら身を任せた。

子育てに仕事に家の仕事に、あまりに時間がなかった。そんなことよりも今ここに在るという感覚に集中しきることが本当に久々で、意識が何度も幽体離脱する。

思えば人に自分の時間を委ねたり身体を委ねる行為は、実に勇気がいることだなとふと気づく。
確かに今は出来ることが多い、でも数年前より体力も落ちたし、いつも眠い。そうして年齢を重ねるほど出来ないことは増える。誰かの手が必要な状態になることはあらゆる人に訪れる。

そんな時に私はどんな心持ちであれるかと思ったときに、誰かに自分の時間を委ねる、という小さな勇気の重ね方はひとを優しくさせるのかも。なんていびきかきながら思っていた。仕事では出来ている(つもり)のに、暮らす上でちっとも出来なかったことにじっくり目を向けられたようなきがする。

この10年出来ていなかったのは、そんな勇気を持てなかったのかもしれない。気づいたら出来そうだ。そう思うとなんだか気が楽になった。
ありがとう港町。そろそろ極寒の町に帰って機嫌よく暮らします。

2023.2.3