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スコットランド。アレンの居る山々

アレンは夫の弟だったけれど夫の代わりに結婚しても良いと思うほど私は大好きだった。
もしかしたら夫も反対しないのではないかと思われるほど弟を愛していた。

もっともアレンはゲイで、だから私が結婚することはあり得なかったのだけど、でも夫と私以外に確証を持っている人間は居ず、本人がついにカミングアウトすることなく55歳で膵臓癌で亡くなった。 

アレンとの最後のメッセージのやりとりはこんなだった。
「アレン I love you. デビッドを捨てて結婚しても構わないくらい」
「Ha Ha Ha!Thanks! 心に留めておくよ。でもデビッドは僕以上に君の事を必要としてるぜ」 

一年前にアレンに膵臓癌が見つかってあっという間だった。
パンデミックの為に渡航もままならずついに会えないまま逝ってしまった。 

手元に残された彼の写真のひとつに私が撮影したお気に入りの写真がある。

世界中を旅した彼がその中でも一番愛した土地、スコットランドハイランド地方の山々の切り立った崖っぷちにいかにも得意げに立って満面の笑顔でこちらを向いている写真である。

スコットランドで彼が危篤に陥った8月、2週間余りで亡くなった後、彼の遺志どおりスコットランドで火葬されるまでの間、ずっとその写真をダイニングテーブルに置いてあった。

私たち夫婦もひとり娘も言葉に表せない悲しみを共有することになってしまった。
言葉に出してしまうとたちまち日常生活が滞ってしまうからお互いに注意深く避けて、それでもテーブルの写真はそこに置いたまま。 

ヨガスートラはヨガのバイブルで、エゴや煩悩などをコントロールできるようになる方法などを詳しく解説してあるハウツーものみたいな本でもあるのだが、その最後の方になると超能力めいた話になる。
姿を消せるとか他人の身体の中に入っていくだとか時空を超えるとかそういう類の話である。読んだ時には「はいはいはい、よくあるよね、こういうのが古典には」程度の反応だった。 

その超能力が突然理解できたのはアレンを亡くした辛さを抱えたまま日常生活を送っていくために毎朝瞑想を繰り返していたある日のこと。 

その瞑想は呼吸とカラダの感覚をよく観察して集中した後に自分の一番喜びを感じられる情景や記憶を呼び起こし、その「喜び」をカラダ中に感じるという内容のインストラクションだった。

私は雑念を取り除いて空っぽになったカラダと頭と心で「喜び」の感覚を再現しようとした。 

その時に私のカラダと心に飛び込んできたのはあの写真のアレンだった。何度も一緒に歩いた美しいスコットランドの山々。その冷んやりと清々しい空気、木々や草の甘い匂い、目に映る果てしない山々と水と空。

その感覚がありありと蘇って私自身があの写真の中で子供のように幸せに笑っているアレンそのものになってしまったのだ。 

時空を超越して私はアレンそのものだった。彼の身体はもう地上のどこにも存在しないはずなのに私の細胞の中に存在して生きて笑って喜びで心臓を脈打たせている。 

ヨガスートラの超能力は決してインチキでも眉唾でもなかった。
愛する人にいつでも会える、生死を超えて。 

寡黙に悲しみに耐えている夫に教えてあげたかったのだが
休日のたびにバイクに乗って山道を独りで走り回っている彼はもしかしたらもう知っているのかも知れない。

緑の中を駆け抜けている時、彼もアレンそのものなのかも知れない。  

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