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弾ける

今日、仕事場に入って荷物をカウンターに置いたタイミングで、左手首にしていた天然石のブレスレットが切れて、丸いビーズがパラパラパラっと弾けました。確かに、物質的に、弾けた!と思ったので、すぐに周りを探して石を集めようとしたわけですが、何度探してもビーズの粒は4粒しか見つけられませんでした。

ビーズが散ったであろう場所は、複雑な環境でもなく、ただのフローリングだったので、なくなる可能性はゼロなのですが。箒とちりとりを出してきて、あたりを掃除してみましたが、やはりひとつも見つけられず。ドアを開ける前にすでに糸が切れていたのか。車を降りてからドアに至るまでの道のりをさらってみたりもしたのですが、ひとつも落ちていない。とにかくかろうじて手元に残った4粒をカバンに入れ、今日のコトをこなしていたのですが、どうも朝から何かが弾けた感が拭えない。

話は変わるのですが、昨日くらいから、辻井伸行さんのピアノに魅せられています。今朝、先のようなことがあったあとも、彼のピアノがぐんぐん自分の中に入ってくる。もともと小さい時から音響関連機器の技術者であった父の影響で、クラシック音楽は身近にありました。ピアノも長いこと習っていました。でもだからと言って好きで常にクラシックを聞いていたわけではなく、むしろピアノ演奏なんて退屈、と思っていたくらい。小さい頃から習っていたピアノの発表会のときに先生が生徒ひとりひとりに、楽譜本をプレゼントしてくださるのが習わしだったのですが、みんな自分の実力以上の(頑張れ!という意味を込めた)レベルアップした楽譜をいただいてたのに、私は、小椋佳さんのフォーク楽譜集だったのを思い出しました。これは大好きな楽譜だったから、まったく嫉妬などはないのですが、そんなこんなで、その頃からロックやポップスに浸ってきたのに、ここにきて古典ピアノ演奏やオーケストラとの共演を1日聞き続けていても、全く飽きないのです。

そして、まぁつまり・・・しっかりとしたオチがあるわけではないのですが、今日は満月、ということもあって、満ちたのか、そうか、ピアノも「弾く」わけだし、弾けてるんだな、と。今日はこういうことの意味合いだったのか、と今になって自分なりに腑に落ちたところです。

多分、これは多分ですが。私自身が年を重ねて、ちょっとだけ足を前に進めることができた、という証なのだと思います。幼少のころから染み付いていたピアノの音は、ずっと見えないところにいたけれど、今になってじわじわ染みてきた。辻井さんのピアノはクラシックの重苦しいイメージをぶち壊す、優しくて軽くて甘い音です。まるい月に弾けた石とピアノ。今夜はそういう日なんだな、と。有難いな。

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