シリコンバレーに行って気がついたのは「I am so cute」だった。


<起>「男の子」か「女の子」か?

5歳の時、幼稚園の男の子と戦って、ジャングルジムの一番上を勝ち取り、自分の帽子を掲げた時の快感を今でも覚えている。

私は「戦う女の子」だった。
強くてかっこよくて、可愛くて愛される人間になりたかった。

でも、大きくなるにつれて「女の子のくせに喧嘩ばっかりして」「男でもないのに、変なやつだ」と周囲から言われるようになった。
「おとこおんな」と友達からバカにされるようになって、先生に聞きに行った。
「男の子ってどういう子のことを言うのですか?」
「女の子ってどういう子のことを言うのですか?」

先生はこう答えた「男の子は強くてたくましい。昔は狩りに出て戦わないといけなかったから。女の子はみんなと仲良く家を守る。男の子を支える役割だ。」

職員室にはたくさんの先生がいたが、誰も彼の意見に口を出さなかった。
これが正解なのだと思った。
強さと可愛さは共存しないのか。

私は女の子に産まれたのに、女の子にはなれない。私がワクワクするのは「男の子」の方なのだ。職員室を出る時には「男の子」として生きていくことを決めた。

元々1つだった「戦う女の子」という自分を「男の子(戦う)」と「女の子」に分け、「女の子」部分を捨てた。

それ以降「男の子だったらこうするべき」を軸にすべての行動を選んでいった。いつも髪を短くし、ミズノのジャージしか着なくなり、男の子との遊びばかりを選んだ。柔道を始め、力が弱くても投げ飛ばせる技を持った。野球も始めた。わざと荒い言葉を使ったりした。人前で泣くのもやめた。感情的ではなく、すべてロジカルに説明しようとした。かわいいと言われると嬉しかったが、その気持ちを悟られてはいけないと思った。

でも、ベットの上は人形でいっぱいだった。
毎日、「おやすみ」と声をかけて抱きしめながら眠った。

外では男の子より男の子っぽく振る舞い、
誰にも見られてない所では女の子でいた。

そんな矛盾する自分を知られたくなくて、
私は人と距離を取るようになった。

学ランを着て、応援団長になり、社会人まで男性の中で野球を続けた。
私は男の子のまま大人になった。

<承>融資の紙にサインできない

今、目の前に融資の紙がある。
事業拡大は私のやりたいことのはず。
でも、サインができない。手が震える。

私は何者で、何を目指しているのか?
リスクを負ってまで手にしたいものは何で、それを手にしたら私は幸せを感じられるのか?

キレイなストーリーなら相手に合わせてスラスラと言葉が出てくる。講演も取材も自分について胸を張って語っている。

でも、作り上げて磨いてきた自分では怖いのだ。
1000万を超えるお金を銀行から借りるのは、作った自分では決断できない。

矛盾だらけの自分の中で「本当の自分はどれだ?」
向き合わないといけないのに、日常の中では考えることができなかった。
なぜなら、今の私の混乱の大きな要因は「ママであり、経営者である」ということだったからだ。この両方でない時間が1日の中でほとんどない。

毎日葛藤していた。
ママは子どもを優先すべき、おいしい料理を作るべき、家を守るべき。家族との時間を何よりも大切にするべき。

雑誌やテレビで語られる「普通の母親像」を見るたび、職員室で先生に言われた「女の子像」がフラッシュバックした。

こんなに子ども達が愛おしくてたまらないのに、なぜ自分を優先的に考えてしまうのだろう。守るべき人が胸の中で寝ているのに、私はなぜこんなにも外に戦いに行きたくて仕方ないのだろう。

母親としての自分を責めながら、事業拡大のための決断をしていくうちに恐怖心はどんどん増していった。

早く本当の自分を見つけなければ、、、焦りでもうグチャグチャだった。

<転>シリコンバレーでの思考の順番

シリコンバレーで受けた今回のプログラムを言葉で説明するのは難しい。研修なんて「変な宗教やセミナーみたいだ」と言われたらそれまでだ。受けた人にしかわからない。私には最高だった。それでいい。同じ結果は二度とでないだろうから。その時間、その空間で、その人たちと偶然行った会話で作れらる唯一無二のものだ。

1日目は焦っていた「私の中にはちゃんと本当の私がいるのか?」コーチの方に何度も聞いた。見つけられる気がしなかった。時差で眠れない中、何度もノートに書きだしてはキレイなストーリーにしようとする自分と戦っていた。

シリコンバレーにまで来て、私は自分を着飾ろうとしているのか。
病気じゃないか、と自分で自分に苦笑した。

2日目は真っ白だった。何も書けなかった。どんどん変化していくメンバーを羨ましく思ったが、焦らず空っぽになった自分を受け入れていた。
そんな中、私はふと泣いたのだ。何も泣くタイミングではなかったのに。
人前で泣くのが嫌いなはずの私が、理由も分からず何かが込み上げてきた。

それからはずっとその涙の理由を考えていた。頭ではなく、心が何かを感じたのだ。すごく大切なことなのだろう。ゆっくり、もう少し深く自分を潜っていく。

3日目、少しずつ自分が解れていく。キッカケは自己紹介だった。外国人の講師に英語で自分のビジョンを話さないといけない。まだ自分を掴めてはいなかったが、とりあえず順番が来るので、急いで作った。練習だから何でもいいと思い、知っている単語を繋ぎ合わせて、言葉を作った。それを自分の口から出したとき、少しピタッと来たのだ。

日本語だったらキレイに説明していたと思うが、私の英語力ではそれができない。だからこそ、自分の気持ちを真ん中にしたシンプルな言葉が出てきた。

「なんか掴めそうかも」そう思っていたランチの後、1人の外国人女性が私に名刺が欲しいと言ってきてくれた。<Shinsenryoku.inc>という社名を見て、彼女は「どういう意味?」と聞いた。私はすごく拙い単語で説明した。話しながら、「ああ、そうだ、私はこれがしたかったんだ」と気が付いた。

日本語ではたぶん気が付かなかった。英語の文法に変換することで、自分の奥にある気持ちをストレートに出すことができたのだ。

変な謙遜を相手に合わせて無意識に乗せてしまう日本語ではなく、自分の気持ちを引き出すための方法として英語はすごく使える。

それからは芋づる式にどんどん自分が見えてきた。
私が何者であり、何がしたい人間なのか?

経営者として、事業計画も重要だが、自分自身を知らないと何も決断できない。それどころか、どんなに忙しくても満たされなくなる。

色々な企業の方、創業した方など12名の女性が集まっていたが、お互いが行っている事業のことはほとんど知らない。4日間、互いにずっと「お互い何者か」「何が情熱なのか」だけをフィードバックしあっていた。

シリコンバレーではVisionよりMission が上にある。
「世の中をこうしたい、だから私はこうする。」ではなく、「私はこういう人間だ。だから世の中をこうしたい」
全てのスタート地点は「私」にあるのだ。

作りたい社会や事業より、優先順位の高い場所に自分(being,Mission)がいる。自分がブレなければ、VisionやProduct は変わってもいい。
そもそも自分はブレないのだ。それが自分自身だから。
どこを切っても出てくるDNAだから。だから、安心していい。
エゴイストでよくて、それで周囲がハッピーなら最高じゃないか。

日本語ではなく英語の文法で考えたこと。そして、Visionより自分を先に考えたこと。シリコンバレーで「思考の順番」を変えたことが、私のトリガーになった。

<結>I am so cute,because I decided so.

私はずっとずっと「戦う女の子」だった。
私のどこを切っても出てくるDNAレベルの自分は5歳の時の自分だった。
私の中に33年間いつもいたのに、いつの間にか周囲の考える性別・役割によるイメージに自分を無理矢理はめ込むようになっていて、見えなくなっていた。

「戦う女の子」がママになった。家事は嫌いだけど、子ども達の冒険を一緒に楽しむことは大好きだ。寝る時は天井を星だらけにしよう。押入れにヒミツ基地を作ろう。戦いから帰ってきたらその様子をいっぱい話そう。一緒にワクワクする友達になろう。

「戦う女の子」が経営者になった。数字やら細かい仕事は苦手だけど、面白い戦略を考えるのは大好きだ。出来ないことは得意な人に助けてもらおう。壁にぶつかった傷を勲章に私は走る。

役割に合わせるのではなく、そのままの私で役割を楽しめばよかったんだ。

「戦う女」や「戦うママ」ではなく、あくまで「戦う女の子」でありたい。遊ぶように戦いたい。たとえ遠回りでも、一番ワクワクする方法で戦いたい。

すべての可能性を信じていた5歳の時の私が一番強かった。濡れることも恐れず川に石を積んで橋を作り、落ちることも恐れず屋根に上り、寝っ転がって星を見ていた。あの時ほど自分の力を信じ切っていた瞬間はなかった。

私は戦う。日本をもっと面白くするために。そのためには今までビジネス界で戦力だと思われていなかった母親や子どもの力が絶対に必要なのだ。新しいものは同質の組み合わせでは出てこない。

どうやって戦力化するのか?私は「教育」で戦力化する。一方的な座学ではなく、遊ぶように学び、働きながら学ぶ。遊学働の融合を「学ぶ」分野でも加速させたい。子ども達や母親達が社会で価値を出しながら学び、遊ぶように事業を作り出していく。

今一番やりたいことは学校の空き教室にシェアサテライトオフィスを作ること。社会見学に行かなくても、社会は隣の教室にある。
なぜ、勉強が必要なのか、隣の教室を見ればわかる。逆に仕事に悩めば、一番シンプルで楽しい方法を子ども達が教えてくれる。

「働き方改革」も「女性活躍」も「地方創生」も大人だけでやっていたら、10年後も変わらない。遊びながら、学びながら、働きながら、みんなで一緒に考えていこう。絶対に面白い方法が見つかるから。

最高にワクワクする。

とにもかくにも、私は一度捨てた「女の子」を自分で受け入れことができたことが何よりも大きい。

世の中の「かわいい」基準がどうであっても、年齢がいくつであっても構わない。私は攻めて、冒険して、泥まみれの顔でワクワクしている最高にCUTEな女の子なのだ。

I am so cute,because I decided so.

18年間抱きしめてあげられなかった「女の子」を抱きしめながら、私はこれから進んでいく。笑って、みんなと、面白い世界へ。

※絵のセンスはゼロですが、書いてみた。

追記
シリコンバレーから帰ってきて、自分の机に座ったら隣にこの言葉があり、驚いている。
まさか、私の机の真横にずっと探してた答えがあったとは。毎日見ていたのに。全く気がつかなかった。信じられない。ドラマみたいだ。
「One day I decided that I was beautiful, and so I carried out my life as if I was a beautiful girl(ある日、私は美しいと決めたの。私は美しい少女のように私の人生を歩みました。)」

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尾崎えり子

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