日記(人の死の話)
こんにちは、内臓です。
今回は死についての話をしていきます。
父の死から少しわかったことだとかを
話していきますので読んでいて
辛くなった方はこの記事を閉じることを
お勧めします。
①父という人間
まずは父がどんな人だったかという話から。
過去に記事にしたことがあったかもしれないが
父親は真面目な人間(アル中)だ。
本来は色々とやらかしの多い人だったが
そのエピソードを語るとあまりに父親が不憫に
なるのでやめておく。
…一つだけ話すなら。
白霧島と聖女様の魔力は万能です!という
アニメを鬼のように愛した人で
テレビを独占しては聖女様を見ていた。
「精神統一したい」とか言って仕事を休んで
聖女様を見ていた日の事は今でも
家族のネタにされている。
僕内臓はともかく和にんじんはよく
父親と会話していたように思う。
和にんじんが生前父親の事を影で
「飲んだ時と離脱の時がクソ面倒な父親」
と僕らに言っていた。
…とはいえ和にんじんは割と父親と
会話してたのもあって亡くなった時は
大泣きしてたけど。
②葬儀関連の話
父親、知り合い少なそう…という話をした時に
生前父親は「100人は来る!!!」と
めちゃくちゃ言っていた。
いやそんな訳…
あった。めちゃくちゃ人がゾロゾロと来た。
コミュ障は父から引き継いだものだろうと
頭を抱えていたが父はコミュ強だった。
僕らは余計頭を抱えた。
もし父親の霊体が近くにいたのなら
「だから言ったやろ!」と言われそうで
悔しかった。
葬儀場の職員の方々が本当に丁寧に
接してくださった。
あの時葬儀や死後の手続きが分からない僕らに
丁寧に教えてくださった方、本当に
ありがとうございます。
③死は「残った者への影響がかなり強いもの」
父の死後、1番思ったのはこれだ。
これに関しては人脈の有無を問わず
恐らく全ての人間がそうだ。
…と強く言い切れるのは死に「儀式」は
つきものだからだ。
たとえ僕のようなコミュ障が死んだとしても
そこに発生する「死」という事実や
死に対する「儀式」の面で少なからず生者への
影響はある。
そもそも死自体が「未知」の性質を持つ。
そのため知らない誰かが亡くなったとしても
未知に対する恐怖感だったり好奇心だったりが
生者に与えられるのだろうなと思う。
(ここでの好奇心は希死念慮とほぼ同等である)
例としてネット上で名前も知らない有名人が
亡くなった時、自分も死にたくなったり
死に恐怖を覚えたりすることが挙げられる。
④現在の僕ら(余談)
「悲しくなるのは一段落してから」
とはあるが父が亡くなった日から
今に至るまでみんなずっと悲しかった。
いや、悲しいと言うよりは父のいた
空間に穴が空いたようで寂しい、の方が
正しいのかもしれない。
和にんじんは割と死の予感を感じやすい
みたいで亡くなる数日前から収骨までが
1番苦しそうにしていた。
今は寂しいという気持ちはあれどあの時ほど
苦しそうな感じでは無さそうだ。
けれど本人曰く父親の死の予感を
感じたくなく気紛れになるかと思ってやって
いた配信とかげまちの四コマ。
当時のことを思い出すのを防ぐために
今は休んでいる。
⑤あとがき
この文章は構造も何も考えずに日記のように
つらつらと述べているだけなので読みづらい
かと思う。申し訳ない。
葬儀からしばらく経った数日にあった
亡くなった時に聞いた病院の機器の機械音の
幻聴や一睡も出来ない日は無くなったが
今も父親が生き返る夢を見る。
そんな自分の気持ちに折合いを付けれたらなと
思い書いていた。
父の形見の扇子と自分の着物と一緒に
今度出かけてみようと思う。
それでは。
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