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一つの青春が終わった日

5年ほど前、「日本一のアスリートは誰ですか?」というというに、遠藤保仁と答えたことがある。
当然十数年来のガンバ大阪サポーターが贔屓目に見ている部分はあるが、
私の嘘偽らざる本心だということは間違いない。
彼は私にとって一番の青春時代のヒーローだったから。



遠藤保仁がサッカー選手を引退した。

あまりに急な話だった。
事前の報道も何もなしで、会見もなくただYouTubeであっけらかんと報告するだけ。
しかもトップチームコーチとしてのガンバ大阪復帰を併せて発表。
YouTubeでは本人が本当にいつも通りのテンションで飄々と話していた。
もう彼のプレーを見ることができない悲しみとガンバ大阪に帰ってくるという喜びがグチャグチャになり、
何回ニュースを見ても事実が上手く理解できないままだった。
混乱はなかなか収まらず、今は彼のことをじっくり考えるために文章を書いている。

一度も少年ジャンプを読んだことがないような私にとって、サッカー選手こそが少年時代のヒーローだ。
初めてスタジアムに行ったときの胸の高鳴りやキラキラした気持ちで夢中になったことは今でも忘れていない。
毎週彼らのプレーや結果に一喜一憂していたし、サッカーを見るためならどんなことも頑張れた。

そんな数多くの選手の中で一番初めに好きになった人こそ、昨日引退した遠藤保仁だ。
学校の自己紹介で好きな有名人欄に遠藤保仁と書いたり、
普段親に物をねだったりしなかった私が7番のユニフォームも買ってもらった。
受験の時はお守り代わりでインナーに彼のユニフォームを着たりなんかもした。


すっかり着すぎてぼろぼろになってしまった


そして今は長らく始めるのを躊躇っていたnoteを書いてみようというきっかけをくれた。

それくらい私の心を支え、勇気づけてくれたかけがえのない存在だった。


今の状況を例えると「毎週楽しみに読んでたワンピースが予告なく完結した」みたいなことが近いと思う。
壮大な物語をもう見ることができない喪失感は思っていた以上だった。

遠藤保仁は2002年から2020年途中まで私の愛するサッカーチームガンバ大阪に在籍し、大半の期間を主力としてプレーした。
Jリーグのみならず日本代表の歴代最多出場記録を持つ彼は、まさに当たり前にいる存在だった。
大きな怪我も少なく、いつも安定して美しいプレーを見せてくれるからこそ、冒頭のように私は日本一のアスリートだと思っていたのだ。
ガンバ大阪を応援し始めた小学生の私は当然のように遠藤保仁ファンになったし、大半のガンバサポーターは1回遠藤ファンの時期を通っているはずだ。

ガンバ大阪は2011年から2015年頃まで怒濤のシーズンを過ごした。
史上初の2部リーグ降格、1年で昇格、昇格後即3冠…
遠藤は2部降格が決まっても真っ先に残留する意志を示してくれた。
当時日本代表の主力だった彼の言葉は傷つききった私たちにとって希望だった。
そして、久々の優勝となった2014年ナビスコカップ決勝。
私は高校の土曜授業から急いで下校し、試合途中にどうにか埼スタに着いた。
思い出されるシーンはキャプテンマークを巻いた遠藤がトロフィーを掲げている姿。まさしく強いガンバの象徴だった。

ガンバ大阪からの退団が報道されたときはひどく落ち込んだ。
ずっとガンバにいた彼は気付いたときにはいて当たり前の存在になっており、当然のようにガンバで引退するものと思っていた。
全く別れの準備をしていなかった私は全く受け入れることができなかった。
翌日は、日常の何気ない瞬間に寂しさで涙が流れてきた。

ガンバを去った後は今まで以上に彼の動向が気になった。
いなくなったからこそ彼の偉大さ、貴重さを強く感じたのだ。
ヤマハスタジアムでのジュビロ戦では挨拶があると勝手に期待したガンバサポーターが
10分以上もスタンドに居残りみんなで出てくるのを待っていたのは良い思い出だ。
パナスタでゴール裏に挨拶に来てくれた時は純粋に嬉しかった一方で、
彼がいなくなったと実感した瞬間でもあった。


そうして今日、応援し始めたときには小学生だった私は25歳とすっかり社会人になっている。
気付いたらずっとJリーグを見続けていた。
お金を持ち始めるにつれて、より沢山スタジアムに通うようになった。
そして、そこには遠藤保仁がずっとプレーしていた。
彼はガンバ大阪、Jリーグ、日本サッカーの象徴であるのは言うまでもないが、
私の青春時代の象徴でもあった。
今日の発表で悲しみと喜びが入り交じった後、私の中に残った感情は悲しみだった。
長かった青春時代の思い出はそう簡単に消えないようで、
私はまだ彼が選手としてプレーする姿を見ていたかったということだろう。


ただ、彼は我々に次の夢を見せてくれるようだ。

遠藤はガンバに帰ってくる、コーチとして。

退団時に「このクラブに戻ってくる」という言葉を残し、約束を果たしてくれた。

今のアラサー世代がまだ少年だった頃一度は思い描いたであろう、
ガンバ大阪監督 遠藤保仁の誕生はおそらく遠くない未来に実現するかもしれない。
これからも遠藤保仁は俺たちの次なる夢を乗せてくれるはずだ。

楽しい物語は終わったけど、また新しい物語が始まる。
そう考えると少し気持ちが軽くなってきた。
また彼から目が離せなくなりそうだ。

本当にありがとうございました。


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