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エッセイ 夏風邪は……

 昔から、夏風邪は馬鹿がひくと言う。

 実は昨日、扇風機を買った。
 某、量販家電店にて1,780円だった。

 レジに持っていけば、さらに200円引きになった。ようわからんシステムである。

 聞いたことがないメーカー名だが、まあ、扇風機なんて廻りさえすれば、うちわよりは、はるかにましであろう。

 家に帰って箱からとり出すと、組み立て式だった。考えればあたりまえである。箱の大きさからして……。

 ひと目見ただけで明らかに安物だが、そのぶんシンプルで、案外きちんと組み上がった。

「リズム風」なんてものは、さすがにこの値段ではついていないが、回りながら、ちゃんと器用に首を振るので妙に感動した。

 メイド イン 〜? を見れば、たぶん気分が悪くなる国の可能性が高いので、あえて確かめるのをやめた。

 今でもたいがい悪いのに、これ以上目が悪くなるのはごめんである。
 
 チベットの高僧は、生きたまま眼球をえぐられたそうだが……もちろん、この扇風機を作った奴らの政権に……しかも、ほんのちょっと前に。

 しかし、その忌みしき者たちがいる土地から茶道が伝わってきたことは、気分が悪いが認めざるを得ない。

 まあ、その頃はまだ中共はなかったのだから、とりあえず今はよしとしよう。

 茶道以前に、茶をしばく(飲む)ということは、平安時代に遣唐使が日本に伝えたそうだが、当時の日本人は漢方薬のように、茶を薬として煎じて飲んだらしい。

 つまり茶は、スーパーではなく、マツモトキヨシで売っていたということになる。

 やがて室町時代になると、茶を飲んで、その水の産地を当てる「闘水」というゲーム……というか、いわゆる博打が流行する。
(※ 賭博をした者は、50万円以下の罰金又は科料に処せられる。刑法185条本文)

 そこで、この原子力村……失礼……金と欲にまみれた社会や風俗に嫌悪感を感じた村田珠光が、まったく逆の発想。

 つまり、亭主と客との「精神的交流」を重視する茶会のあり方を説いたのが、「わび茶」のはじまりだと言われている。

 その後、安土桃山時代に出現するスーパースター、千利休によって、「わび茶」は、いっきに、メジャー化した。

 そして、1960年7月15日。

 予言に導かれるように、東方の三博士が兵庫県尼崎市にやってきて、産まれたばかりの赤子を拝む。

 その赤子は、産まれてすぐに、七歩歩いて、右手で東京電力を指し、左手で総理官邸をさして

「東電官邸唯彼独醜」というと、

 そのまま、両手で持ち上げた茶碗の茶を、一気に飲み干したのである。

 話は冒頭に戻る。

 昔から、夏風邪は馬鹿がひくと言う。

 昨日買った扇風機を、調子に乗って使い過ぎて、風邪をひいた。

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