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春は名のみの

 なぜ、季節の変化があるのか?
 みなさんはおそらく理科の授業で習ったはずです。

 それには、地球の地軸が大きく影響しているのです。

 地球は 1年(365日)かけて、太陽のまわりを一周します。それを公転運動といいますが、公転しながら自転もしています。その地球の自転の一周が、1日(24時間)なわけです。

 その地球が自転するときの軸(地軸)は、公転運動をする面(公転面)に垂直方向から、実は23.4度、傾いているのです。
 このために北半球と南半球で太陽との位置関係によって、それぞれ日照時間が異なり、季節……つまり気温に差がでるわけです。

 最もわかりやすいのは北極と南極。
 冬場は一日中太陽が昇らず、夏場は一日中太陽が沈みません。

 不思議なことに、太陽の周りを回る地球が太陽から最も遠ざかる位置で、北半球は夏になります。
 どういうことか?

 つまり、距離よりも軸の傾きの方が重要だということです。

 季節には「春夏秋冬」と、大きく4つあります。また人生も「生老病死」と、4つあります。

 私は、理由はわかりませんが、元号には何らかの不思議な意味があると考えています。空気や風が確かに変わるということです。

 それが29年間、昭和を生きて、さらに31年間平成を生きたうえで注意深く振り返った結果の感想です。

 私の昭和は下積みの厳しい時代でした。運動部なら一年生で、球もさわれず、毎日グラウンド整備をして、走って筋トレをしていたようなものです。

 平成は昭和に鍛えた力を発揮した時期でしたが、常に逆風にさらされました。

 何をしてもそれなりには形になるのですが、決して追い風は吹きませんでした。そのくせ悪いことは沢山起きました。
 家庭も災害も国家権力との争いも。

 その中でも最も悲惨だったのは、自分の作品に対する世の中のあまりに低すぎる評価です。

 私は冒頭に述べた軸。つまり自分の作品における価値観軸を決して変えるつもりはありません。真実に対する柔軟な姿勢の維持と価値観軸の普遍性は決して矛盾しないのです。

 この軸の傾きを維持しながら時代は次の元号に移行しました。令和とやらに……。

 私の昭和は晩秋でした。  
 平成は冬でした。
 そしてついに春がやって来たのです。

 当初は「春は名のみの 風の寒さ」でしょうが、決してもう冬ではないのです。

 ほんの少しの未来に、一気に私の周りの空気が変わることが、ありありと私のまぶたに描かれています。

 だから必ず、ハルシ本は売れるに違いないのです。これは運命なのですから。

 中身を一切見ずに……売れたとたんに、手のひらを返して急にチヤホヤするであろう山口市の行政にキツイ嫌味を言いながら、いろんな企画を袖にするのが私の今の楽しみです。
 その時になって、今まで無視したことを悔やめばよいのです。ざまあみさらせです。

 宇部や山陽小野田や美祢や長門とは、ニコニコ接する予定です。

「そういうとこは、ホンマに人間の器が小さいなあ」

「そやで、これがワシの、本性やさかい。わし、悪い子ちゃんやもん」

 と言ってからはや、令和も3年。

 売れるはずの本の版元が倒産し……やはり、春は名のみの風の寒さ……。

 いや、今度の風は、寒さを通り越して痛いぞ。

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