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がんばる理由になりたい

「あの子がいるから」という感情の領域に私は属したい。恋人や親友のように「あなたと私」という唯一絶対の強いつながりが欲しいのではなくて、心の隅のふわふわぼんやりしている場所で寄り添っていたい。

誰かにとっての「あの子ががんばっているから自分もがんばれる」という存在になりたい。私がいるから、明日も仕事行こうと思えるとか、私ががんばっているから、ちょっと動いてみようとか。弱くなってしまった時に、私のことが脳にちらついて、背中を押すような存在に。些細なことでいいから、私の知らないところでも私が生きていたら、そんなに幸せなことはないと思う。

私には、「あの人がいるから頑張れる」の「あの人」が何人かいる。バイト中、レジに商品を持ってきた中年のお客さんは、その中のひとりだ。レジで、いつものようにお会計をする。私の名札についた若葉マークを見てそのおじさんは「僕も最近、社内で部署を移動したんです。だから初めての業務ばかりで、僕も新人です。お互い頑張りましょうね。」と言って、商品を受け取り、帰って行った。送り出しは「ありがとうございます。またお越しください。」だけど、そんなの言えないくらい、私の中でそのコミュニケーションは「揺れて」いた。「また、きてください」というのが精一杯だった。

それから、私の中でそのおじさんがふとした瞬間に顔を出すようになった。応援されているということが、私の心の中におじさんを住まわせた。疲れている時、バイトから帰る時、ミスった時、、、。あの時のおじさんが頭に浮かぶ。あのおじさんも、今日もどこかで何かをがんばっているんだ。そう思うと、私もがんばらないとなぁという気持ちがわいてくる。おじさんの存在が、私を前にひっぱっていく。

そのおじさんの、名前は知らないし、顔も覚えていない。それでもそのおじさんは、私の中で雲のような存在となり、心の片隅に熱を帯びて確かに存在している。そしてそれが、私のがんばる理由になっていたりする。形はわからないし、触ることもできないけれど、「あのおじさんもがんばってるから、私もがんばろう」と思う。

私も、そういう存在になりたいなぁ、と最近よく考える。雲みたいな曖昧な存在でいいから、私と関わったことのあるどこかの誰かにとって、がんばる理由になれたらいいな、と思う。「がんばっている人」の存在を感じることは、想像以上に私にパワーを与えてくれる。私も誰かにとっての「がんばっているあの子」になりたい。

インターネットのおかげで、24時間、いつでもどこでも誰とでも、私たちはつながれるようになった。フェイスブックやツイッター、インスタグラムで簡単に友達リストが作れるようになった。でも私は、友達リストに自分の名前がなくても、お気に入りの友達なんかになれなくても、それでもつながっている、心に温度を持って生きている、そういう存在になりたい。私の中のそのような存在が、私を強く優しくいさせてくれるから。私は、不特定多数の人に認められる存在になんて、なれなくていい。誰かに、あたたかさや安心感、優しさやエネルギーを与えられる人、弱さに寄り添える人になりたい。そして、私の中のそういう存在を、大事にできる人でありたい。

(2020/10/21 今回は、たいたい回だ。そして、文章の結びも毎回「たい」な気がする。)

本文で使った「たい」の回数をn(回)とすると n=8


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