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GLASS HEART番外編「幸せになるからね」【無料記事】

初出 2022/4発行ペーパー「20220417感謝祭」

無料公開です。
※都合により予告なく公開終了することがあります。


幸せになるからね


 春は花見をするべき。西条朱音にそういう主張をされて初めて、自分の生活の文化的貧しさに気がつく。季節感に欠ける、三月末のスタジオ。
「そうだね!! なんで僕らいっしょにお花見したことないんだろう!? こんなに仲がいいバンドなのに!?」
 こんなに仲がいい、と高岡尚が明瞭な発音でリピートする。聞かなかったことにする。
「桜なら藤谷さんの家の真ん前に咲いてる」
 坂本一至が指摘する。そうだっけと僕は言う。記憶にないので。
「しましょう、みんなでお花見。ちゃんと公園の桜の下にシート敷いて」
「ありがとう朱音ちゃん、僕の夢ひとつ叶いそう」
「夢なんですか」
「夢じゃないほうがいい?」
「ふつうのことだといいな。だって、仲がいいんだし」
「そうだね。わかった、そうしよう」
 夢とか奇蹟だと僕はいつも思うんだけど、きみはちがうと言う。そうかな、と懐疑的な僕がまだいる。懐疑的で臆病。手痛い経験にもとづく内向性。それでも「場所とりならまかせろ」と源司さんが言うし、だれひとりとしてお花見という予定外のイベントに異を唱えない(坂本君でさえも)ので、ああいいんだなと徐々に自分をゆるす。


 待ち合わせよりずいぶん早く、一時間前に、桜の居並ぶ小川の堤のあたりを歩いていったら、源司さんのわかりやすい後ろ姿を発見する。背中に大きくTBのロゴの入ったツアーTシャツ。面倒見がいいなあ、このひと。
「ねえそれ大々的に僕らの宣伝してるの?」
「センセイ早えな! あんたが見つけてくれりゃそれでこいつの仕事は終わり」
「僕だけ狙いうちなんだ」
「初心者には優しくしねえとな」
 そらよ、と赤い星のマークがついた缶ビールを手渡された。靴をぬいでビニールシートのうえに座ったら、満開の桜の仄かな紅色、午後の青空とのコントラストが頭上にあって、まだ飲んでもいないのにもう酔った。アカネが唐揚げ大量に作ったってよ。源司さんが携帯見てそう言った。
「幸せだなあ」
 僕が言うと、よかったなと答えて源司さんが笑った。





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