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GLASS HEART番外編「Re: octave」【新作/無料記事】

個人的なリハビリと練習。無料公開です。

※都合により予告なく公開終了することがあります。


Re: octave



 昨日よりも今日のほうがましだと思ってさ。
 そういうのがいい生き方だと信じている。
 いい、という表現の意味するところは「善良」じゃなく「有益もしくは有意義」。
 善いひとであると自称するには無理がある。
(後退しないの? 音楽は)
(滅びないの?)
 どうかなあ。
 三千年後のことは僕にもわからない。
 でも歌うよ。


 意外と寒いのはマフラーをどこかに置き忘れたから、
 と気づくまでに僕はだいぶ遠回りをしたらしい。
 もっと、心理的な、実存の根源的なお話みたいに、かんちがいをして、それで、生き方が寒いのはまずいなあ、だとか。
 まずい音は欲しくないし、まずい人生も。
 なんて考えながらスタジオ最寄りの駅で電車をおりて(いつ乗ったのかそもそも何を理由に乗ったのかわからない、困ったことに)靄っぽい寒気に曝されたプラットフォームでようやく次の半音に思い至る、
 なぜなら、二本の屈強な線路をはさんだ向こう岸のプラットフォームに高岡尚(僕のギタリスト)が立っている、ので、
 驚いた。
「えっ。なにこの偶然?」
「いや俺はきみを待っていたの」
「そうなの?」
「俺に電話したでしょう」
「ああそうだ! 電話したよね、すぐ切ったけど」
「ワン切りやめて」
「なんで高岡君に電話したんだっけ」
「それより先に、この状況不便なので改札で合流させて。非常に会話をしづらいので」
「待って! それより先の先に僕が謝る状況だ、高岡君、ごめんね!」
 そう、ごめんなさい。
 と、言うべきところを捕捉しそこねて山手線を二度か三度か周回した挙句の果て。
 架空の川岸のこちらとそちらで話す僕ら、滑稽かな。
(あたかも無限に並行する)
(幾何学風味の十六音符)
(ねじれつづける)
(チェシャ猫起源のグリッサンド)
 けっこう愉快になるけど。
 だめかな。
「もう仲直りするの?」
「えっ。いやなんだ? もっと喧嘩継続したかった?」
「不信と徒労を感じているだけ」
「ひどいなあ」
「あのねえ」
 つくづく語りつくせない暴虐非道を味わった被害者みたいな視線で彼が僕を眺めて(まあカッコイイんだけど優しくはない)、小首を傾げて、
「さっさと改札にひきかえせ」
 ほぼ恫喝の口調で言うからやむなくあとずさりをした僕と、彼のあいだに、真新しい風を巻き起こして列車が滑りこんでくる。





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