見出し画像

吉備大臣入唐絵巻

7月30日(土)東京都美術館で開催中の「ボストン美術館展」を見てきました。『吉備大臣入唐絵巻』がやはり圧巻でした。

 院政期に作成されたと推測される『吉備大臣入唐絵巻』(『江談抄』)は、奈良時代に遣唐使として派遣された吉備真備を主人公とした、一種のヒーロー物です。真備は、日本に帰れないまま鬼となっていた阿部仲麻呂の助けを得て、唐人が仕掛けてくる『文選』『囲碁』『野馬台詩』(『江談抄』のみ)といった難題をクリアし、無事帰国を果たします。こうした唐の文物を日本に輸入するという功績を武勇伝として作り上げたのですね。
 
真備は様々な「知恵」を駆使して闘い、勝利します。時には、嘘を言ったり、相手の碁石を飲み込んだりと、不正とも見える知恵(お伽草子にも実は悪智恵の話はたくさんあります)も使いながら、大国に打ち勝つのです。大勢の人たちに対して孤軍奮闘する真備は、知恵によって大国に対抗していた小国日本という自国意識の象徴のように思えます。
 
この絵巻で真備を助けた阿部仲麻呂の歌が、『百人一首』七番に収められています。
天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも(『百人一首』)
(大空をふり仰いで見ると、月が見える。ああ、故国日本の春日にある三笠の山に出ていたのと同じ月だよ)
仲麻呂が遣唐使の任を終えて帰国するというので、中国の明州(逝江省寧波(にんぽう))の海辺で人々が送別の宴を催してくれたときに詠まれた歌だとされています。三十数年前、日本を出立する前に見た同じ月を仰ぎ、封印してきた望郷の思いがあふれ出た瞬間だったのかもしれません。
しかし、仲麻呂はこの後帰国の途についたものの、船が難破し、中国に舞い戻ってしまいます。そして、結局生涯日本に帰ることはできなかったのです。船が難破したという知らせを聞いた詩人李白は、仲麻呂が死んでしまったと誤解して、次の詩を詠みます。訓読で引用します。

  晁卿衡(ちょうけいこう)を哭(こく)す  李白
日本の晁卿帝都を辞す
征帆一片蓬壷を繞(めぐ)る
明月帰らず 碧海に沈む
白雲愁色蒼梧に満つ
(日本の友人、晁衡は帝都長安を出発した。
小さな舟に乗って、日本へ向かったのだ。
しかし、明月のように高潔な晁衡は、青い海の底に沈んでしまった。
愁いをたたえた白い雲が、蒼梧山に立ち込めている。)

横浜中華街を久しぶりに訪れ、旅行気分を味わいました

実は仲麻呂は生きていて、中国に舞い戻ったわけですが、李白は詩友の死を嘆き、悲しんでいます。
 
日本に帰れなかった遣唐使は仲麻呂だけではなかったでしょう(井真成の墓誌)。そうした遣唐使の苦労、望郷の想い、無念への心寄せが、『吉備大臣入唐絵巻』の根底にはあるように思います。
詳しくは、谷知子『古典のすすめ』(角川選書)「日本ということ」をご覧ください。

昭和7年(1932)にボストン美術館によって購入された本作品がきっかけに文化財流出を制限する法が制定されたとのこと。おかえりなさいの意味もありますが、コロナ禍が続くなか、日米両国が手を携えて実現した「文化の懸け橋」という願いをこめて実現した展示とのこと。

『吉備大臣入絵巻』はもちろんですが、『平治物語絵巻』を含む「1 姿を見せる、力を示す」もすばらしく、「力」の様々な可視化に多くの発見がありました。光格天皇の新御所遷幸を描いた「寛政内裏遷幸図屏風」、「地球儀型の杯」、龍袍など、見所満載でした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?