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鍛えます、自尊心with美容


突然だが、わたしは自分が大好きだ。

この性格も、この容姿も!
わたし、大好きだー! 


…突然、自己愛を叫ぶ。
あおやぎに一体、何があったのか。

✳︎

美容ライターが書いた“こわくない”美容の話?

今回は、「自分のことはまあ好きだけど、でも嫌いなところ、自信が持てないところもたくさんあって、だから日々落ち込んだり葛藤してるんだよ」というあおやぎの背中を押してくれた本をご紹介したい。

その名も「美容は自尊心の筋トレ」! 

著者の長田杏奈さんは、美容ライターをしている方。
美容ライター?職業名がすでにかっこいい。

しかし長田さんは、「美容」という言葉に対して、業界外の人々の中には警戒したり、誤解を抱いている人も多いことに気づき、そう名乗ることにジレンマがあるという。

「美容」は、ある人にとっては「表面を着飾るチャラチャラした」もの、「ちょっと軽蔑しておきたい」ものであり、「女らしさや、社会人としてのたしなみを押し付けてくる」抑圧的なもの。またある人にとっては、「望まないのに自分の容姿をジャッジし品定めされる敷居が高く落ち着かないもので、怯えた野生動物の目で遠巻きにこちらを伺われると、怖くないよ大丈夫だよとこちらまで泣きたくなる。(4ページより)

なるほど私は、「美容」という言葉をキラキラして真っ赤でピンクでゴールドでできていて、自分には縁のないものと思っていた。美容、それは綺麗な人がもっと綺麗になるためのもの。もしくは、綺麗になりたい人が、血眼になってがんばるもの。

そして、たしかに「美容関係者=ちょっとこわい」と思っていたのも事実。

話は逸れるが、2ヶ月ほど前、私は“デパコス”デビューを果たした。あのきらびやかでいい匂いのする、デパートのコスメ売り場。

自分の肌質や適した化粧品がわからないけれど、あんな公衆の面前(失言)でカウンターに座って顔を晒して(失言)丁寧に接客してもらうなんて!

美人じゃなきゃむりじゃん。

と、思っていた。本気で。20年くらい。

でも、接客してもらえた(頼んだので)。

そしてその結果、

「あ、美人じゃなくても気にしなくていいんだ!そりゃそうだよね、どんな人でも綺麗になりたい思いがあって来るんだし、そこを手助けするプロの美容部員さんたちなんだから、引け目なんて要らないや!」

という考えを獲得したのである。


美容ライターが書いた“セルフケア”の話

2019年6月にアップデートされた私の考え、それは「世の中には美人とそうじゃない人がいるけど、そうじゃない人でも気後れしなくていいんだよ」というものだった。

しかし、今回「美容は自尊心の筋トレ」を読んで、また考えがアップデートされた。

長田さんは、こう言う。

私は、筋金入りの全員美人原理主義者だ。これは気休めや綺麗事ではない。人を雑に見ているからでも、美意識のタガが緩んでいるわけでも決してない。人間をよくよく見つめて育ち、美容ライターとして目と神経を磨き鍛えた結果、美の抽出精度が高くなったのだ。自分の審美眼を誇りに思っているし、あわよくばおすそ分けしたいと目論んでいる。(16.17ページより)


本の中ではほかにも、「自信がないなら、愛着を持てばいいじゃない」「遠山の金さんと水戸黄門ーいつも完璧じゃない美学」など、見出しだけでも面白いお話を次々展開し、“自分って無条件で完璧でそのままで愛すべき存在だ”と思える力が文章に込められている。

世の中ではときおり「ブス」という言葉が使われるが、長田さんの文章を読むまで、その語源を私は知らなかった。あなたも知らないなら、おそらく普段見聞きする「ブス」の意味合いとかなり違うことに驚くだろう。

✳︎

読み進めるたび、目から鱗が剥がれ落ちていく。もう落ちる鱗もないよ、と思った時に自分の中から小さな子どものような声が聞こえる。「もっとわたしはわたしを大切にしたい」。

そう、この本はセルフケアを呼びかける本だ。
ただ呼びかけるといっても、いわゆる「体の内から美しくなるのよ!ほら、このマッサージとメイクを毎日継続しなさい」というような、スパルタ美容指南書ではない。

自分を大切にする=セルフケアは、本人がまずそうしようと思わないことには、始まらない。

おそらくセルフケアに熱心でない人の中には、「私は美人じゃないから」「ナルシストだと思われたくない」といった、人と自分を比べたり、人の目を気にする発想が根底にある人も多いと思う。
まさにあおやぎはそうだった。

でも、全員美人で、1人ひとりが唯一無二の容姿をもっていることに気づいたら、どうなるか?

自分という人間には愛着がわき、他人には適切な距離をもちながら、まっすぐな拍手を送ることができる。


誰かに憧れてはいけないわけではない。
素敵だな〜と思う気持ちは、むしろセルフケアの達人になるヒント。

けれど、「あの子にはぱっちり二重の目も、綾瀬はるかさんみたいなお肌も、藤原紀香さんみたいな色気もある。私には全部ない…」

と思うのではなく(ちなみにこれらは私にないもの)

「私にはちょっと目尻の下がったアンニュイな奥二重の目と高橋一生さんみたいにさわやかな髪型、羽生結弦くんみたいなどこかほっこりする笑顔がある!ちょっと陰のあるかんじが全体に雰囲気だしてる~」

と思ってみる(ちなみにこれらは私にあるもの)ことで、自分をよくみて、あちこちに愛着ポイントを見つけたら、きっと気づくだろう。

「私には、私がある」ということに。


おわりに~眠れない夜には自尊心を育てたい~

「美容は自尊心の筋トレ」、読みたくなっただろうか。

読みたくさせるための投稿ではないのだが、1ミリも興味をもたせられなかったとしたら、私の責任だ。

あるテレビ番組で上映間近の映画紹介をしているコーナーがあり、いつもなんとなく見るのだが、映画を観る前からその映画の大筋を知ってしまうことになり、いつも後悔する。この映画おもしろそうじゃん、このコーナー見なきゃよかった…!という謎の後悔である。

何が言いたいかというと、ネタバレせずに魅力を紹介するのは難しい。

難しいのだが、世の中にはそれを次々やってのける人がたくさんいる。

毎日なにかしらの本を読み、なにかしら感動しているあおやぎは、その想いを誰かに伝えたい。

けれど、伝える技術がまだ足りない。足りないというか、ない。

「言葉で自他を助けたい」を看板としているのだが、それが本当に自分の看板なのかも自信がないし、そのあたりからこの強すぎる感受性がやる気を発揮して、人生全般が不安になることもままある。

でも、それでもわたしは、自分がいいと思うものを紹介したい。

まだ技術がなくても、実績がなくても、それで「紹介しちゃいけない」理由には全くならない。

かっこいいものは何もなくても、私には私がある。

そんなことを考えながら、また「美容は自尊心の筋トレ」を読み直したり、うさまるのぬいぐるみをもちもち触ったりして、なんとか自分の機嫌を自分でとっている。

そして、“人”の存在を思い出す。

今まで自分と関わった、素敵な人たち。

あおやぎならだいじょうぶと言ってくれた、人生の先輩たち。

長田さんは本の「死ぬほど好き♡でも自尊心は委ねるな」の中で、こう言っている。

自分の大切さやかけがえなさの根拠を、他人に求めてはいけない。自分が大切な存在かどうか、相手の出方次第で決めるのはやめよう。(中略)「あなたが期待通りにしてくれないから、私には価値がない」というのは、「私の期待通りにしてくれないから、あなたには価値がない」と背中合わせだ。

その通りだと思う。一時期の私は、人の態度と自分の価値をごっちゃにして感じ、行動していたけれど、今は思う。「あなたが期待通りにしてくれなくても、あなたは価値がある」「あなたが期待した私じゃなくても、私には価値がある」と。

これにプラスして、あおやぎは「〇〇さんが太鼓判押してくれたから、きっと大丈夫だ」「□□さんが好きと言ってくれたし、きっと大丈夫だ」を装備している。ポジティブな根拠なら、他人からもらったものでも全然かまわないと思うのだ。

美容という言葉から、自尊心を育てるヒントがこんなに得られるとは。

今、最後の鱗がぽとんとはがれ落ちていった気がする。


むすびに~ここまで読んだあなたへ~

おわらなかったので、「むすびに」と書いてしまった。

さきほど、自分にはまだ伝える技術がないし…と若干うじうじしたのだが、1つ言っておきたい。

それは、今ここまで読んでくださった方1人ひとりが、あおやぎを支えてくれているということ。私はそのことに、心底感謝しているということ。

小説を書いてみても、論文を書いてみても、続かなかった。

でも、noteを始めて、なんだか楽しい。

それはきっと、直接の知り合いであれ偶然のご来note者であれ、私のつらつらと書いたものを読んでくれる人がいるから。「スキ」「フォローしたよ」をもらうたび、私は1人深々と頭を下げている。ありがとうみなさん。

ぽつぽつとでも、書いて、消して、書いて、消してを繰り返して、私はこれからも文章というパンを焼いていきたい(おにぎりでもカステラでもいい)。

ちょっとずつ、納得のいく文章というものを書けるようにこれからも自主練は続けていくつもり(やや長田さんの文真似)。

よかったら、これからも全部読んでください。


強欲で自尊心フルネスなあおやぎでした。


#エッセイ #読書 #美容は自尊心の筋トレ #noteでよかったこと

















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