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「アライバル」という生き方

ショーン・タン作品との出会い

絵本作家のショーン・タンをご存知だろうか。

オーストラリア出身の彼は、「ロスト・シング」「エリック」「遠い町から来た話」など、いくつも名作を生んでいる。

特に2011年発表の「アライバル」という作品で、国内外問わず高い評価を受けている。

私は河出書房新社のツイートで「セミ」という絵本を知り、それを読みたくなって、今月上旬に表参道のクレヨンハウスで見つけて購入した。

「静かな問題作」という文句にひかれ、その場でページを最後までめくったのだが、「これは持って帰らなければ」と感じた。

「セミ」の詳しい話はこの記事ではしないが、知人に勧めたところ以下のような感想をもらった。

ニンゲン セミ 読んだ。セミ とても いいね。ニンゲンも じゆうに なろうと おもった。トゥク トゥク トゥク!

この知人は頭がおかしいのではなく、
むしろ彼に拍手喝采を送りたい。
既に「セミ」を読んだ方ならおわかりだろう。

私はほかのショーン・タン作品も味わいたくなり、翌週もクレヨンハウスで絵本を購入した。
それが「アライバル」(河出書房新社)だ。

移民はとまどい、発見する。

「アライバル」は、移民を描いた物語だ。一人の男が家族のために一人旅立ち、見知らぬ国へ渡って新生活を営んでいく。こう言ってしまうとなんて単純でおもしろみのないものに聞こえてしまうんだろう。あらすじ、なんていう4文字で表現できる説明の仕方が難しい。それは文字がないことも関係しているかもしれない。

そう、この絵本にテキストはない。
グラフィック・ノベル、つまり絵だけで語られる作品だ。漫画の手法も参考に、ひとこまひとこま、時にはページいっぱいの大きな絵で描かれており、その緻密さと動きの豊かさはさながらサイレント映画のようにも思わせる。

翻訳版(といってもテキストはほぼない)の始め、いわゆる表2部分に書かれている言葉を引用したい。

新たな土地に移民した者が、その土地で生まれ変わり、新生児のように成長していく。そこには過去の自分を捨てなければならない辛さと、新しい人生を歩むチャンスを手にした幸せとの両面がある。それをまるでサイレント映画のように一切の文字を使用せず表現した、究極の文字無し絵本!

「サイレント映画のように」ってここに書いてあるじゃないか。まるで自分がそう表現したかのように書いてしまった。失礼しました。

ちなみに同じページで、「arrival」という語の説明もある。それによると、意味は「到着、(新しい方法・製品などの)出現、(季節・行事などの)到来、やって(引っ越して)来た人、新顔、新参者、誕生、赤ん坊」と盛りだくさんだ。

よく服屋さんなどでも「new arrival」と書かれた商品があるが、なるほどそういうことかと納得する。

タンは、「見知らぬ国のスケッチ アライバルの世界」(河出書房新社)の中で、この「アライバル」を創作するに至った経緯や制作の過程を語っている。

なぜ移民を描いたのか?そのきっかけには彼がずっと持ち続けている、「帰属意識」というテーマの存在があったそうだ。引用部分が多くなってしまうが、少し紹介したい。以下、「見知らぬ国のスケッチ アライバルの世界」10ページより。

意識的にせよそうでないにせよ、僕はずっと、見知らぬ世界に置き去りにされて戸惑う、あるいは、何かしらの事情で帰属意識の問題を抱えている、というキャラクターを描いた物語に魅力を感じてきた。それぞれの物語の内容云々よりも、僕の心を惹きつけてやまないのは、常に中心にあって繰り返し湧き起こる疑問だ-どこかに帰属する、というのはそもそもどういうことなのだろう?

この引用を読んで「えっおもしろそう」と感じたあなた、きっと「アライバル」も「見知らぬ国のスケッチ」も興味深く感じます。

あおやぎの発見―アライバルは生き方だ―

あまり制作秘話をネタバレしすぎるのも避けたいので、唐突だが個人の感想をまとめたい。

私はこの「アライバル」と「見知らぬ国のスケッチ アライバルの世界」を読んで、自分もまたアライバルなのだ、と気づいた。

この物語では、過去の暮らしを捨て、新しい土地で生まれ直す、様々な人々の姿が描かれている。そして新しい生活には、戸惑いや疑問、驚きをともなう。時には発見や笑いもある。
…実はこれ、私達も同じではないか?

転校や転職がわかりやすい。自ら希望する場合、止むを得ずそうする場合。理由は様々だが、新しい環境に飛び込んでいくと、私たちは戸惑い、驚く。そこで出会う人、アイテム、ルールなどあらゆるものが新鮮で得体がしれない。少しずつ慣れてきたり慣れなかったり。笑ったり笑えなかったり。

厳密な意味での移民ではなくとも、今の環境から旅立ち、新しい環境で生活を始めた時の人間は、きっと多くがアライバルの状態だ。

私自身もそうだ。新卒で入った会社を2年ほどで辞め、1ヶ月休み、まったく違う業界に入ってみた。休んでいる1ヶ月でさえも「NHKテレビ体操を毎日オンタイムでできるとこんなに心のゆとりができるのか」と衝撃を受けたし、新しい場所で働き始めてからは「私はこんなこともあんなことも知らない」「他の人と考えがちがいすぎる」と感じたり。

でも、周りに助けを求めたり、まっすぐな目で物事を見ようとするうち、自然と、過去の自分をいったん置いておいて、今この瞬間を経験していこうという素直な気持ちになっている自分がいた。

きっとその時の私は周囲から見ても「新参者」で「赤ん坊」のような状態だったと思う。ただ、周囲の人々も近くは半年前、遠くは数年前に同じ状態を経験しているから、「新参者」で「赤ん坊」の気持ちを理解してくれた。

恵まれたアライバルだったと思う。アライバルになった人の中には、過酷な環境に打ちのめされ、到底続けていけない、という状況を経験する場合もあるだろうから。

そして私はまた、アライバルになるだろう。おそらくは希望をもって。今の先輩たちも、前の先輩たちも「いつでも帰ってきていい」と言ってくれている(そういう人もいる、が正しい)。そんなあたたかい励ましを大切にしまっておきながら、たとえ環境が変わっても、試行錯誤しながら新しい生活をするだろう。

今年初め、前職を退職して間もないころは「いつかフリーランスになりたいなあ」と思っていた。半年以上経った今も、そう思ってはいる。

ただ、「フリーランス」に縛られず、自分は「アライバル」になることを恐れない、のほうがいい気がしてきた。

個人だろうが組織だろうが、行きたいと思った方向へ歩き出していく。時には「せっかく積み上げたのに」の思いもあるだろうけど、積み上げたことを理由に、また生まれ直す芽を摘んでしまわないよう。
行きたいところへ行けるよう。

感想というより、自分から自分に対しての覚え書きのようになってしまった。

でも、今の私がこれを残しておくことで、少し先の私を助けられるような気がしている。 いつか、自分以外の誰かも助けられますように。


【完】

#エッセイ #日記 #読書 #絵本 #アライバル #生き方




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