納豆ごはんイラスト

君の名は。―納豆を見つめて―

納豆を見つめて思ったこと

昨晩、深夜に突然、納豆ごはんを食べたくなった。

こんな時間だけど…まあ納豆だからいいか…
という謎の許しを自分に出し、キッチンへ。

炊飯器に残っていたごはんを少しだけよそい、
我が家お気に入りの納豆を開封。

もりもりとごはんにかけ、ほくほくいただく。

納豆ごはん、おいしいなあ〜。

ここでふと、思う。

納豆ごはんを口に運ぶときって、

納豆とごはん、このくらいのバランスで口に入れたい

という、無意識の好みがあると思うのだ。

納豆ごはんを食べない人でも、カレーライスのカレールーとライスとか、明太子スパゲティの明太子とスパゲティとか、きゅうりスティックと味噌とか、複数の食材を同時に口に入れるもので、なにかしら覚えがある方もいるのではないだろうか。

あと、量的な意味のバランスだけでなく、
「この角度からお箸をいれたい」「このくらい巻き付けたい」とか。

「そんなこと考えたことない」という声が多そうだが、現に私は考えてしまった。

そこで気になったのは、

「この、“バランスをとりたい心象”に名前はあるのか?」

ということである。

そういえば…と、以前友人から面白い話を聞いた時のことも思い出す。

確か街をぶらぶら歩きながら話していたのだが、その友人いわく

「後から同種の何かが新しく現われて広く普及したことによって、元からあったものに、新しいものと区別するような名前がつくことをレトロニムと言う」そうだ。

例としては、

・「回転寿司」ができたから、従来の寿司屋を「回らない寿司」と言うようになった。

・「携帯電話」ができたから、ある場所に固定した電話を「固定電話」と言うようになった。

・「デジタル(WEB)媒体」ができたから、「紙媒体」という言葉も使われるようになった。

まだまだ例はたくさんある。ちょっと説明が拙いかもしれないが、概ね伝えられただろうか。

この「レトロニム」という用語を聞いたとき、私はなぜか、ほっとした。

すっきりしたと言うほうが正しいかもしれない。

名前がついていると知ると、人は安心するのだろうか。


さらに、ときおりぱらぱらとめくって楽しんでいる「なくなりそうな世界のことば」(吉岡 乾・西 淑、創元社)のことも思い出す。世界の様々な少数言語の中から、研究者たちが“そのことばらしい”単語を紹介している本だ。

この本に出てくる単語の中で私が好きなのは、

ラマホロット語の「DEBA’(デゥバッ)=手で触ってみるなど触覚を利用して何かを探す」と、

ヘレロ語の「VEVARASANA(ヴェヴァラサナ)=どこにいてもわかり合える」という言葉だ。

遠い土地の人々が長い歴史を経てつくっていったその土地の生活、文化に思いを馳せることができる。言葉を知るのは楽しいしおもしろい。


「名前をつける」と「描写する」

強引に納豆へ戻るのだが、つまり「納豆とごはんを自分好みのバランスで口に入れたい気持ち」を表す言葉はあるのだろうか?と思ったわけである。

ここでは、そこに名前がついているのかどうかを調べることはしない。

ついていようがいまいがそんなことはどうでもよく、というかもうこの話題自体どうでもいいと思われていそうなのだが、私が気になったのは

「名前をつける」を突き詰めると「描写をさぼる」ことになるのではないか…?

ということなのである。


たとえば、こんな小説の一節があったとしよう。

【淳二は、よくかきまぜた納豆をごはんにのせ、慎重に箸をその中にくぐらせた。その真剣な眼差しはあたかも、納豆とごはんを自分好みのバランスで口に入れようとしているかのようだった。

これがもし、描写の部分に名前がついていたらこうなる。

【淳二は、よくかきまぜた納豆をごはんにのせ、慎重に納豆バランスをとった。

描写の部分がまるまる「納豆バランス」というような名前で表現できてしまうので、不要になるのだ。

なんということだろう。説明はできているが、表現はできていない気がする。説明って何なのだろう。表現とは一体…??

もう自分でもよくわからなくなってきたのだが、こういうようなことを、深夜のキッチンで納豆ごはんを食べながら考えたのだった。

おわりに―おわらない夜―

きっと私は、ささいなことでも、人に伝えたくなってしまうのだろう。

でもささいなことすぎて、自分でも何を言いたいのかよくわからなくなり、でも一瞬生まれた気持ちは確かに覚えているから、「ああ、あれに名前がついていればいいのに」と感じるのだろう。

名前がついていれば、みんなに伝えられるのに。きっとわかってもらえるのに。


でも、ほんとにそう?

名前をつければ、解決なのかな?

なにかを手放してはいないかな?

そんな声もどこからか、聞こえてくる。


軽い気持ちで食べた納豆に、こんなことを考えさせる力があったなんて。

うまく言えないけれど、ありがとう。納豆。


【完】   

                     photo by 涼風(photo AC)


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