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平成も終わるし、大好きな活版印刷と私について ①

ペーパーレスも極まり、キャッシュレスが進む平成も終わりかけの今、私は紙に埋もれて仕事をしている。2016年に東京の荒川区東尾久というところで、地元でも家業でもないが、夫婦で活版印刷とデザインの工房を構えた。

活版と出会い、知れば知るほど楽しくてしょうがない。こんなに好きだと思えるものに出会ったことがなかったし、活版を知ってからの人生はずっと楽しくて最高だ。

工房を構えるすこし前まで遡り、2014年に まんまる〇 という屋号で活版とデザインの仕事を始めた。その時はまだ夫婦ではなく、彼氏とのユニットという感じだった。
私はデザイン会社を辞めてフリーのデザイナーになったが、仕事はほとんどなく、貯金は少しあって、時間はたくさんあった。あと、若かった。活版の先輩に、暇ならおいでと呼ばれたら、すぐに飛んで行った。
手動の活版印刷機は会社員時代の貯金で買った。20万くらいだったけど、迷わず買った。

活版をはじめて半年で出かけまくり、そして出会いがたくさんあった。その中でわかったことは、私は印刷屋になれないし、なりたいわけじゃないことだった。私はグラフィックデザイナーという仕事がとても好きだったのだ。

でも、もっともっと活版に関わりたかった。

これは本当にラッキーだったのだが当時は彼氏だった夫が、活版印刷という仕事ととにかく相性が良かった。彼はかわいい紙ものが好きで、手先が器用でマメな性格だった。
活版を習っていた先生に「あなたは活版印刷に向いてないからデザインの仕事を頑張って、彼にやってもらった方が良い」と言われて、彼氏が活版印刷に向いている!やったー!と心底嬉しかった。
そんな彼だったので、結婚したというところもある。活版のための結婚だ。(そして夫は飲食店勤務から自営業活版印刷屋になった)

そんなことがありつつ、活版がすごく素敵でもっと知ってほしい!という気持ちは高まっていった。知れば知るほど活版の魅力にズブズブと浸かり、こんなに素敵なものがあるし、もっとみんなにも好きになってほしい!すごく良いの!とスパークしていた。

私が知っている活版に携わる仕事は、活版印刷の仕事をしてる技術者、活版のデザインもしつつ印刷する人、活版印刷して雑貨を作る人などがいたけれど、私はどれになりたいとも思えなかった。でも、とにかく活版の良さを知って、そして使ってほしい!と思ったので、活版印刷で雑貨を作り始めた。印刷は夫に頼んだ。

問題なのは、私は文具や紙雑貨にそれほど興味がないところだった。かといってイラストを描きたいわけでもなく、活版は好きだけれど別に作りたいわけじゃない…でも良さを伝えるためにはそれを伝えるなにかつくらないと…と頭を抱え苦悩しながら最初は製作していた。

グラフィックデザイナーをしていたから、つくることは嫌いではないし、苦ではなかったけれど、やりたいことはこれではない、とどこか思っていた。

そのうちに印刷担当の夫は印刷がうまくなり、印刷依頼の仕事も増え、収入も少し増えた。なのに、その状況はより私を苦しめた。そんな風に悩む間もどんどん夫は印刷がうまくなった。本当に恐ろしく活版に向いていたし、夫は仕事としての活版印刷をとても愛していた。

荒川区に工房を開いた時が一番の苦しみのピークだった。もうどこからどう見てもまんまる〇は活版印刷工房だった。印刷機、活字に囲まれた。活版印刷屋の嫁としてやっていけば良いのかもしれないと思うこともあったが、
それでも私は、私の好きなデザイナーという仕事として活版ともっと向き合いたい、どうやっていけば良いのかを考えていた。

続く(平成のうちにまとめきりたい)

#活版 #活版印刷
#仕事 #自営業
#デザイナー

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