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平成も終わるし、大好きな活版印刷と私について ②

工房を荒川区に開いたのは2016年1月だった。

その頃の夫は忙しさに拍車がかかり、平日は依頼の印刷をし、週末はモレスキンへの活版名入れワークショップで出かけ休む暇はほとんどなく、私はどちらかというと夫のマネージャーのように働いていた。

工房の家賃支払いが増えたことで、半年ほどはいつ家賃滞納になるのかドキドキしていて、とにかく働くしかなかった(なんとか借金や滞納せずに済んだ) 

2016年夏過ぎに、私は体調を著しく壊した。
もともと体調を崩しやすいのもあって、具合が悪い自覚はありつつ家賃に怯える日々で、だましつつ仕事をしていた。あとは毎年夏に開催されている活版TOKYOというイベントの運営を当時はしていたので、夏頃までは気力でどうにか持っていた。
夏の終わり頃から、仕事どころか全く起き上がれない日が増えた。少し体調がいいなと思って出かけて、そのまま帰ってこれないこともあった。
病院をいくつか巡り、合う薬が処方されてみるみるうちに治ったのだけれど、このころの記憶ほとんどない。30歳の夏〜秋は散々だった。

体調を壊したこともあり、仕事の整理をしてもらった。
「活版印刷」担当の夫のマネージャーになっている現状への不満も夫に伝えた。私はやっぱりデザインが大好きで、それを仕事にして行きてゆきたいと改めて話した。

・基本、活版印刷ワークショップ夫のみ(人手が足りない時だけ行く)
・私はデザインの仕事を優先する
・印刷依頼メールの返信はお互いする

やりたくないことはやらない、得意なことはやる、両方とも嫌なことは交代制…と決めて幾分か楽になった。2016年の8月〜10月あたりは本当にぼんやりとしか記憶がない。怖い。
2017年になってからは体調を見つつ仕事も増やしていった。ロゴ製作などもさせていただく機会が増えて、私は夫のように活版に関われない、というネガティブ思想をぶっこわして、活版印刷好きだからどこかで使う!なんかやる!と強気で押し出して行った。

まんまる〇を始めて3年間、このままデザインの仕事は縮小して活版印刷マネージャーになるのかな、と思うほど様々な仕事に触れたので、活版の良さを以前よりいろんな面で実感していた。こう使ったら面白いんじゃ、と想像が出来るようになり、デザインでやりたいことに活版の知識が追いつきはじめた。

2017年あたりから、実験のような物づくりをするようになった。

ハーフエアやクッション紙などにしか印刷してないのはなんで?と思いカラーの紙やキラキラ光る紙に印刷した。シルバーやゴールドインキについても調べて相性を見た。紙と印刷とで生まれる仕上がりの豊かさは活版が身近にある分いろいろできるから、前とは違う角度、つまりデザイナーとして活版にのめり込んで行った。

デザインの知識や技術はもちろんだけど、
紙の知識、インキの知識、加工の知識などいろんなことを勉強していった。
やってみたいことがあれば可能な限りやってみて形にした。
(星綴帳などもこのあたりの作品)

夫はというと、東京デザインテンというイベントのメインビジュアル組版を担当したりとより力をつけていた。この頃のは嫉妬みたいな物が大分小さくなっていて、素直に面白い、すごいと思えるようになった。
https://designhub.jp/exhibitions/2918/

私の活版を好きな理由、なぜ好きなのか。どう使いたいのかが明確化してきたので、前のように嫉妬や苦しいという感情がなかった。
「私が」どう活版に関わりたいのかが決まったら、活版印刷に携わる事柄はは無数にあるように思えて来た。

色々ある中からなぜ活版がいいのか、活版でないとできないこと、を考えはじめたらもう楽しくて、楽しくて。

2017年の夏頃から変わったインキの載せ方、やりたい加工、使いたい紙、活版の魅力を伝えつつよりいい物をつくるにはどうしたらいいんだろう、どうしたら沢山の人が「活版」を知ってくれるんだろう!?
そう思ってものを作りづけている。

つづく


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