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中山道と、情報プラットフォームの移り変わり

予告通り醒ヶ井は続くわけです。感覚的ですが、街並みという観点だけでいうと、東海道より中山道の方がいい風景がつづきます。機会あれば、中山道撮影ツアーをしてみたい。

朝一瞬だけBSをつけたら、認知症のおばあちゃんを歌ったシンガーソングライターのレポートを見た。普段ならスルーだけど時間でいうと3分ぐらいみたわけで。こういうのってテレビじゃないと、絶対見ることは基本ない。

すでに民放TVも新聞もほぼほぼ見ないわけだが、個人的に昔の旧メディアの最大の利点は、普段みれないものも観れる多様性だと思っている。ぜんぜん興味から離れたところでも網膜にはいることによって、知識や知見がたまる魔法の玉手箱。ポイントは主体性なく、情報が取得できることにあったはずだ。

現在は、社会的な思想のはけ口とか芸能事務所の職場とか、多様性という本来のメリットを忘れ、ある情報を集中して取り上げ、吐き捨て、取り上げ、吐き捨て、近視的な観点で情報を提供するものに成り果てた。

また従来の機械的なウェブサイトにおいては、自分の興味があるものばかりを並べて「お前これ好きだろう?それ以外興味ないだろう」というコミュニケーションアプローチを取っているため、情報収集する側が、意識的かつメタ的に取得しない限り、かなり偏った人が生成されていく。まあ大多数の人はそれで満足するんだと思うんだけど、やっぱり新しい発見があるべきだし、知的好奇心を持ちたいよね。

現在のSNSの隆盛って、従来メディアの1方向の偏った思想とかじゃなく、システム的・機械的な選定じゃなく、市井の人たちが選んだ情報を展開することで、一極集中じゃなく分散ネットワークによる広い情報の網が形成されていることが、居心地の良さを生み出しているんだろうなと。自分の選択と、誰かのお勧めがほわんと、混ざっている感じというか。

ここnoteは、裏方のセレクトは、恣意的?作為的?に狙っているので、このコントロール加減について、もし中の人と会話できる機械あれば、ちょっと聞いて見たかったりする笑

また、SNSじゃなくて例えば企業の情報提供も、従来の「きっちりかっちり決まったブランドコミュニケーション」じゃなくて「大枠が崩れないプラットフォームの器の中で、従業員が個別の思いをもったコミュニケーション」を取っていく方が、いまどきな感じがするんだけどどうなんだろう。

情報提供のなりたちとか様は、学生時代にUIを知ってから、ずっと頭の中でほわほわ浮いてさまよっている事柄なので、こういう場を使って、自分なりの整理をする必要があるのかもしれないね。体系だては無理でも言語化はできそうな気もするから。
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