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混濁した鎌倉の町から思ったこと

なんか怖いなーと思うのは、共通の敵を見つけてこれでもかと蹂躙する日本人の特性なのか人の特性なのか、、、どうも性格悪いなと思ってしまう今日この頃です。気が付けばすでに土曜日。自社のノートのキーの効きが1文字だけわるくなるの、、、ちょっとストレスですよね。

前に鎌倉中央食品売り場に訪れたのですが、外観はもう古くて今にも崩れ落ちそうなのですが、その1店舗、1店舗を改装する形で、混在しつつも魅力的な形になっていたりします。

これら3つの写真は、同じ市場の中に混在しているという笑

日本の都市計画って、計画性がなくずさんで、残念な形になってしまうケースがほとんど。これも当然個々のなんちゃっての勢いで混在して、いまの形になっている。

けど、最近思うに、この混濁併せ持ついまの姿こそ、極東の個性なのかもしれないなと思うことが多い。多様性を理解して共存している状態ですね。その割には、最初でいう「敵を作りいじめる」という考えも、小学校で初めてコミュニティに入ってから延々見ているそれで。

これも民族性として受け入れるしかないのかな、、、この深層って、完全に「恐怖からの逃避」なんだよな。わからないもの、自分と同化できないものは怖いというか。村的思考。

よく欧米が計画する、全世界を牛耳るような全体施策を日本のプランナーも妄想するけど、極東の村志向の人が考えてもダメで(いないわけじゃなくて、マジョリティじゃないという意図)、市井の人々は、ちいさい単位で勝てる手段を考えて、局地戦で勝利するのがメインになると思うんだよね。

そうなったときに、百~千単位の企業の生産性が低いとかの話なんて「そりゃそうっしょ」としか思えないんだよね。それなのに「どうしたら生産性があがるんだろうかみんなで考えよう」って笑 じゃ、これからリーダーが「この指とまれ!いうこと聞かない人は来なくていいよ」だけですよ。でも、そういうと村志向の人がぐじゃぐじゃいうという。

戦略的に物事を考えるうえで、「自分たちが何か、何ができるのか、限界はどこか、どこまでならできうるのか」という線引きを考えて、ちょっと上の目標で考える方が、イメージ共有しやすいと思うんだよね。

よく、お天道様の道のような目標と、途中の道がわからない、プランを妄想だけで、考える人がいるけど、実現する上でのイメージ共有と、落とし込みができない人は、語ってはいけないよ。それは、虚言というんですよね。

この業界全体でいうと、RPAがいい例で、「自動化できる=型化できる」ことを具体例として複数提示したうえで、自動化施策を落とし込まないと、できた金型に振り回される人たちが量産されるだけで、なにも解決しない。

なんで口から出まかせの思いつきを、ぽろぽろいいつつ、思いつきなので、「あ、ちがった。ごめん」と言えないんだろうね。みんな。あ、ごめん。やっぱり、こっちってそんなに恥ずべきことなのだろうか?

いまの時代、どっちに進むのも、なかなか難しいわけで、大胆に進みつつも、まずい場合は、左右確認して、いったん止まる、方向変える。そういう意識が、全体に必要な気がしてなりません。


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