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そこの漁場にカジキマグロはいるのか

定型化されたサービスを武器に、踊り狂う片仮名、魅惑のキャッチコピーでクライアントを躍らせて売り上げを達成だ。

世の中そんなに甘くない訳です。

昨日たまたま大学生と会話していたけど、
「なんていうかコンサル用語って大嫌い。自分の経験からの言葉じゃないし自分に酔ってる感じがありえない。要は言葉が軽いんだよね。」「大企業に染まっている大人も苦手。これだけ年食って出てくる言葉がそれ?って思う。残念だよね」とも。

子供が世の中の心理をつくように若い人の方がある意味客観視できている気がしている。今の世の中って多分言葉遊びじゃ人の心は動かなくなって来ているんだと思う。

商売を考えた時に企画立案者って魚釣りに例えると銛の形状とか餌の種類とか最適な漁場とか釣りたい魚ついて仮説立てていき「お。いいなこの組み合わせ」となった段階で漁場に行く訳です。

横目に見ててどうなるかなーって思ってたんだけど。一言お客は「そこにはカジキマグロはいないべさ」と言われる訳です。そうするとその企画立案者はもうダメだってなったんだけど笑

なんかもったいないから違う漁場にふと立ち寄って「魚なんていないよね。」と聞くと「魚?かわむらさんはタコは食べれる人?」って聞いてくる訳です。

多分チームで食べれる人はいない訳です。けどタコも食べれる人は知っている訳ですよ。チームはタコの売り上げで生きていけるとすると、、やっぱりそれを釣るか釣らないかの判断で商売って決まる気がしています。

多分性格的には「釣りますが、揉めない程度で」という立ち位置なんだと思うのですが、結構釣らない人って多い気がしていて、もったいないなあって思っている。

そういう繋がりとかが回り回って商売的に安定するんじゃないかとか。まあ確かにいろいろリスクもあるし過去いっぱい失敗したり迷惑かけたりしているけど、飢えて死ぬのもやだし頼む側からすると「あ。こいつには話ししてもいいや」っていう情もある訳で。

いい悪い別にしてこの「感情の時代」の波に乗ることってそういうことを受け入れることなのではないかと考えている。もしくは圧倒的な論理性。けど多分その能力は有してないから。

今日も頑張ろう。 #ビジネス #漁場 #企画 #事業 #営業 #コンサル


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