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情報の解像度と構造

働き方改革により強制的に稼動日が減る割に、相変わらず工数ビジネスが続く。けど目標は売損か、、汗 そんな明日から夏休み。如何お過ごしでしょうか。

働き方を自由に考えてみる

自分は経営側ではないので、継続的に事業継続できるとかという観点を無視して「改革」を考えるのであれば、個人に売上の30%とかを給料に持たせちゃうとか個人事業主的な発想も面白いなとか。

その時点で、コアタイムとかの概念もないし、どこで働くとかも自分で決めればいいし、いろいろ自由な働き方できるような。

昨日チーム間でも出たワードだけど「生き物として考えた時に、あるべき形は何か?」というのは日々考えることはいいことだと思っています。

言葉一つでも起こる勘違い

自分はけっこう話をしていて「?」と言われることが多い。原因は「話しながら考える」タイプであることと、自分自身で「わかりやすくするために使う固有名詞」が結果的に分かりづらくしか伝わってないことが原因である。

けど周りの人もよくよく聞くと独自な固有名詞用法は頻度の多い少ないはあるがけっこう使っていたりする。

そして受け手の読解力の差によって、理解できる場合とできない場合があるため「あーなるほど、うまい言い回し」ととる人と「かわむら意味わからない」がバッツリと出るんだと思う。

単純化情報の効果

こう考えると、よく言われる「選挙で名前の連呼ってなんで?」とか、「テレビ番組って同じパターンばっかり、つまんないよ」というのは理由があるわけだ。

つまり「名前だけまで単純化したらわかるよね。それも貴重な一票」「同じパターンで単純化したからわかるよね。これも貴重な視聴率」というか。

コミュニケーションの単純化により、全体の理解度の底上げをしているわけだ。けど単純化するほど情報の解像度が落ちてくる。人によってはつまらなくなる。

情報提供の多重構造性

noteの構造もそうだけど「タイトル画像」<「タイトル」<「見出し」<「文字情報」の順で解像度を高めて、理解度と興味の深掘りを取捨選択できるような形になっている。

エディトリアルなんかはその最たるものだけど、ウェブとかもようやく「理解度で選択できる型」が固まって来たのかもしれない。

けど、こういうように「思ったっま書くエッセイ」だとけっこうぐだぐだですね笑

緑豊かな街。金沢

少し前の写真になってしまいますが、金沢に立ち寄った時の風景。金沢城を中心に徒歩でもちょうど回れる距離でいい運動になります。

どうも東京の人の方がこの距離歩いてしまうそうで、車社会の地方民は驚かれるそうです。


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