竜安寺の新緑。認知タイミングのずれ。
今日も低空飛行ですが、やる気は「やって出す」ものらしいので、言葉や写真は、満ち満ちたものを出していこう。先週の蔵出し写真で。京都竜安寺の「もみじ」。
なんか散歩がてらに入ってみたが、竜安寺=石庭というイメージが、竜安寺=生命あふれる木々というイメージで上書きされた。
というか竜安寺の石庭ですけど、あれカメラの広角をうまくつかった結果であって、正直他の石庭の方がいいのいっぱいあります。
でも、ほぼほぼ観光客=海外となっていて、見ているポイントが石庭だけでなく、伽藍とか細かい装飾とか、日本とは違う観点で見られているのは、面白かった。たぶん、興味の観点が違うんでしょうね。
認知タイミングがずれていくこと
どうも最近noteで取り上げる読み物で勉強になることが多い。例えばこれ。
そして、アルクアラウンドを初めて聞くという流れ。文字の不安定さと歌の世界観を聞きながら、なんかあっているな、とかおいらサカナクションは、マッチしない人なのかなとかいろいろ考える。
そして、作成は2010年の1月と知る。8年前なのか。
最近、こういった形で過去のコンテンツ群を知る機会が多い。まるでラジオで紹介される名曲をたまたま知ってハマるのと同じように。
いま仕事では、あるKPIを達成するべく、お客さんとあーだこーだやっているが、やってるプロモーションというのは、「新しく出すもの」を「大量に認知させる」お仕事。
でも、なんとなく最近思うのは、きっかけがあれば「新しくなくても」時期や、きっかけや、フックがかちっとはまりさえすれば、日の目を見る素敵な時代がやってきたんだと思う(結構プロモ関係者に喧嘩売ってそうだけど)。
しかも、フックをかけるのは、有名人だけでなく、市井の人のちょっとしたことが多いわけで。なんかいいなって思う。たしかに自分のnoteも一か月前の記事がぽんと反応あるとうれしいもん。
お互いのコミュニケーション活性化のため、スキ・コメントお気軽に、よろしくお願いします。