モーツァルトのように死にたくない
※現在無料公開中です。電子書籍で出版予定の作品を一部公開していきます。第1章 音楽家の事情(仮)より
天才モーツァルトの最期
あの「天才」モーツァルトについて少し書きたいと思います。
私の父は、クラシック音楽が大好きで、いつもクラシック音楽が家に流れていました。
私がまだ母のお腹の中にいる時から、毎日のようにクラシック音楽を聴き育ちました。ピアノを始めたきっかけも父のクラシック音楽好きからでした。
中でも、父の大好きな作曲家は、バッハとモーツァルト。父は、モーツァルトの生涯を描いた映画「アマデウス」を見るのが大好きでした。
特に最後のシーンを好み、モーツァルトが死にそうになりながらレクイエムを書くシーンを繰り返し繰り返し見ていました。父は、ちょうど家族団欒の夕飯時に映画のビデオを出してきて見るので、私も何度も一緒に見ることになったのです。
「天才モーツァルト」と今日も絶えず賞賛され、偉業を残したモーツァルトですが、晩年、経済的に苦しい生活をしていました。
大作曲家らしく厳かな葬儀はできず、映画の最後の埋葬されるシーンは、子供ながらにしてとても衝撃的でした。
レクイエムのラクリモーサがバックミュージックに流れ、雨の中、モーツァルトの遺体は、集団墓地に他の遺体と一緒に無造作に投げ込まれるのです。
私は、高校の音楽科の受験と入学とともに、音楽の道を志すことを決心しました。
音楽の道を志すことにしたけれど、私の脳裏に焼き付いたあの強烈な最期のシーン
「「アマデウス」のあの衝撃的な最期のシーンのようには死にたくない。」
「音楽家はあのように死んでしまうのが宿命なのか」
とトラウマのようにずっと恐れていました。
ちょうどモーツァルトが活躍した時代は、音楽家は、教会や宮廷に雇われるという立場から、自分で稼いでいく「フリーランス」という働き方になる過渡期でした。今で言う、「働き方改革」がこの時代起きていました。
大芸術家は召使いだった
宮廷音楽家でもあったモーツァルト。
大芸術家であったとはいえ、宮廷音楽家、宮廷楽団、宮廷画家、宮廷作曲家、立場としては、宮廷に仕えた召使いです。
モーツァルトと同じように宮廷音楽家であった作曲家ハイドンは
「いつも召使いでいるのは本当に悲しいことです。私は惨めな生き物だったのです!」
と綴った手紙が残っているといいます。
また、モーツァルトの
「ザルツブルグの大司教に下僕同然に扱われた」
などの言い伝えもあり、人に雇われながら、クリエイティブな仕事をする難しさを感じます。
インターネットがある時代にモーツァルトが生きていたら!と想像しても無駄なことかもしれません。歴史があるからこそ、今があるということは十分承知しています。
インターネットで自由に発信できる時代。モーツァルトだったら、どのように発信していたのでしょう!
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