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能登半島地震における旅館の記録㉗

震災から3ヶ月、能登の余震は少なくなってきている。ただ、日本全国で地震が起きている。私が大地震として記憶しているのは一番最初が阪神・淡路大震災、新潟県中越地震、能登半島地震、東日本大震災、熊本地震、そして今回の能登半島地震。今までは…本当に他人事だった。正直言って、自分が被災者になるとは思ってもみなかった。こんな事は今後、日本でも世界でも絶対に起きて欲しくないと切に願う。切に願っているが、皆さん準備だけはして下さい!社長が17年前に【こんな事二度とないと思うから、記録として大切にしておいたほうがいいよ】と渡してくれた新聞を見つけた。

上が2007.03.25 地震が発生した夕方に発行された新聞
下が2024.01.02 地震が発生した翌日に発行された新聞

自分の机の周りや中を整理していたら出て来た。自分でもよく保管していたと思う。そして旅館の一部で水が出るようになった。だけどボイラーの問題でお湯は出ない。しかし温泉はまったく目途が立たず…。よく和倉温泉の源泉が出た!というニュースや和倉温泉総湯がオープンしたというニュースを目にした方から、旅館も温泉が出ましたか?と聞かれる。

水は嬉しい

いえいえ、そう簡単な事ではないのです。多田屋は和倉温泉の西端にある旅館、つまり湯元からはかなり離れた位置に建っている。その為、湯元から和倉温泉を旅館に引っ張る為に地中に配管が通っているのだ。その配管の状況が未だにどうなっているのかが分からない。道路を掘り起こすのか。独自で掘り起こしていいのか、どの業者さんがやるのか、その費用や時間はどのくらいかかるのか…。そして地震直後に、女性大浴場はあっと言う間にお湯が抜けてしまったのである。温泉が通ってもお湯が溜まらない可能性が高い。そう、問題が山積みなのだ。

温泉街から離れているのが多田屋の強みでもあったのだが…

2月29日 4年に1回のうるう年
女将、社長、統括部長、私の4人での朝礼。この日は和倉温泉にとって非常に大切な日。社長、統括部長は大切な会議への意気込みを朝礼で話してくれる。私も頑張ってくださいと一言。女将の朝礼の挨拶。【私の友達にうるう年に結婚した人がいて、4年に1回が結婚記念日。どうしてうるう年を選んだのかずっと疑問なんです。今度聞いてみようと思います。】社長と私はそこですか!そうきましたか!と笑う。

AM7:00  当館会長、NHKおはよう日本に生出演。
和倉温泉観光協会長として、和倉温泉・観光産業の再建について話す。

スタッフが撮ってくれた写真
娘と息子がじぃカッコいい!とテレビに向かって叫ぶ

AM10:00   和倉温泉観光協会で社長&統括部長が会議に参加。社長は2月の初旬からこの会議の委員長として、和倉温泉の街をひとつにまとめようと奮闘していた。でもこの会議でやっとスタートラインに立てるかもという段階。これからが本当に皆で力を合わせていかなければならない。この様子については夕方から夜のニュースとして全国にも放送される。

石川 七尾 和倉温泉の若手グループが復興へのビジョン発表

和倉の若手チームで連日行われていた会議

2月29日、朝から晩まで多田家一色になると思っていた。会長と社長の日になると思っていた。しかし…そうはいかなかった。世界のスーパースター大谷翔平選手がご結婚されたのだ!あっという間に我が家の話題も大谷選手!女将も朝の挨拶でうるう年に結婚した友人の話をしていたばかり。なんだかとても笑える。多田家二人の雄姿にじっくり浸ろうと思ったのに、一瞬にして大谷選手の結婚の話題に変わった。いかにも会長と社長らしくて笑わずにはいられなかった。2024年2月29日忘れられないうるう年になった。4年後のうるう年、多田屋はどうなっているだろうか。多田屋スタッフ、能登の復興に心を寄せてくれている皆様が笑ってくれていると信じている!

今日から4月。新年度の始まりです。皆様の新生活が素敵なものになりますように!多田屋も笑顔で前に進んで行きたいと思います!

続く…


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