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能登半島地震における旅館の記録④

1月22日
昨日発表があった水道仮復旧(見込み)七尾市街・和倉・能登島中心に4月以降。し、4月以降!? 愕然…呆然…。旅館には井戸水が出る場所がある。だから我が家は恵まれているほうではあるが、4月以降とは長すぎる。

旅館では屋上に設置してある高架水槽で館内に水を供給している。多田屋の高架水槽は新しくしていたので、ビクともせず、震災後も堂々としていた。なんなら、この佇まいが煌びやかで非常に美しい。
ただ、井戸から高架水槽に水を上げる配管の破裂や館内に張り巡らされている配管の状況が全く分からない状態。4月以降までの断水発表を受け、旅館としてやれることがまた狭まってしまった…。一歩ずつ進んでいる事は間違いないが、それにしても…。

無事だった高架水槽 君はカッコいい! 2024/01/11撮影

ここで再び1月2日に戻りたい。
地震発生から16時間が経った。さぁここから多田屋スタッフが一斉に動き出す!個々の能力も高いが、そのスタッフ達が日の出と共に集結する。
出社します!と言ってくれたスタッフ達から災害対策本部に情報が入る。

・氷見田鶴浜線は数ヶ所隆起はありますが渋滞はありません。
・小丸山公園の前は橋の崩壊で通行止め
・松平スポーツの前を通って、ナッピーの前を通ってアル・プラザまで通る道は通行可能。ナッピーの前は渋滞あり(通行止めがなにかわからない) 左に迂回して、城山プールの前は通過可能

・迂回が多すぎてまだ時間かかりそうです…ガソリンもないので遅くなりそうです。七尾から和倉方面渋滞のため全くうごけません!細い道から抜けようとしてますが崩れた家が道を塞いでおり結局Uターンの繰り返しです

2024/01/02 早朝の七尾市内の様子

災害対策本部は お客様避難対応関連議事録およびタイムライン を作成。 

まず、必ず守って欲しい事を決めた。集まってきたスタッフには必ず館内に入る時、出る時は災害対策本部に報告する。(誰がいなくなったのかがわからなくなるため)

8:30 和倉小学校にいるスタッフからお客様4組様が歩いて多田屋に向かっているとのこと(この方たちはご自分の車で帰れる可能性がある)9時以降に多田屋から避難所待機のお客様の荷物を載せて和倉小学校へバスを出す事を伝える。

9:05 4組のお客様が多田屋へ到着。引き渡し開始…
ここで後程、私が大泣きしてしまう出来事が起こる…(私が泣いたのを知っているのは数人だけ)

9:10 避難所と本部で運搬する荷物の最終確認を行う。お客様の荷物で無い物等があり、対応スタッフがお部屋まで確認しに行く。やはり昨晩懐中電灯を照らしながら暗い中でのピックUPには限界があった…。

9:14  石川県能登地方 4

9:34 お客様のお荷物を積み込が完了したため、多田屋を出発。避難所の和倉小学校へ。

ここで、1組のお客様からの申し出がある。『自分の財布と、家の鍵や車の鍵が全部ついたものが無い。部屋の机の上に置いておいたはず。』最初は【お部屋にあるかもしれませんので、確認して参ります】と他のスタッフが対応。『ありませんでしたか?…。おかしいな…。』【カバンの中等確認して頂けませんか?】このやりとりは、私は他のお客様対応しながらも、なんとなく聞こえていた。だんだん雲行きが怪しくなってくる。

【もう一度、当日の状況を教えてもらえませんか?】と私が対応する。『えっと…でも確実にお部屋の机におきました!黒の長財布です!避難所にいる連れにも聞いてみますが…。』【ありがとうございます、もう一度当館のスタッフとお部屋までご同行していただけませんか?】

私も心臓がバクバクし始める…。ありますように、ありますように…。

『やっぱりありません…。万が一車にあるとしても、車のキーが無いので確認できないですよね。3人で荷物をピックUPしたんですよね??』あきらかにお客様の語尾が強まる。

どうしよう…うちのスタッフに限ってありえない。絶対にありえない!でもあきらかにお客様の貴重品が無い…。保障となればどうやって?ましてや車の鍵や家の鍵まで…。早くお帰りになりたいだろうに…。地震とは違う体の震えが出てきた。社長に報告すべき案件になるかもしれない…。多田屋のスタッフが疑われるのだけは絶対に嫌だ!!でも疑われてもしょうがないのか?いや、絶対にあきらめない!何をだ?何をあきらめなかったら解決するのか?自分でも頭がおかしくなってきた。地震より大変な事になる。頭を下げて済む問題ではない、お客様のお部屋は倒壊しているわけでもない。スタッフの事は信じてる。その気持ちはブレてはいけない!いやでも…。ダメだ。呼吸が苦しくなってきた。【す、少しお待ちください…】と言えていたのか覚えていないが、事務所に戻る。

2024/01/02 七尾湾は本当に美しかった。
当日スタッフが撮っていた写真。 
ブレているのがこの時の私の心情をまさしく表している!
お客様の背後見えていたのは頭がおかしくなって
全身が震え始めた私に見えた七尾湾。

【総務部長…ダメもとで聞きます…。○○号室のお荷物をピックUPしたのは誰ですか?】『○○さんと○○さんです!』えっ??覚えているのですか!?
【お客様が貴重品が無いと言われているのですが、ピックUPしてくれたスタッフに覚えているか聞いてもらえませんか?】あんな過酷な状況の中で覚えているのだろうか…。『すぐ確認とります!!』

昨晩も非常に長く感じたが…この時間も非常に長く感じる…。『○○さんに電話しました!一緒にいた○○さんに確認したほうが確実だと言うので電話します!』ダメか…。あ~昨日も神様、仏様にお願いしたけど、今回も神様、仏様お助け下さい。

『若!若女将の指示で金庫に入れたそうです!!』

へ?ホントに??うそでしょ?『部屋番号書いて袋にいれて保管したと言っています!』私、そんな指示した?え?え? と、とにかく確認しなければ。

お客様からの預かり物を入れておく鍵付きの棚

あ、あった…。ある…あるじゃないか…。ちゃんとあるよね?あるわ。ある。あったぁ~!と喜ぶより
あったわ…と膝から崩れ落ちた。泣きそうだ…。いや、泣きたいのはお客様だ。立ち上がらなければ。

【お客様ありました!ちゃんと鍵付きの棚にお預かり…○×△☆♭●♯⒥▲★※】言葉にならず号泣。【私がちゃんとスタッフに明確に指示をしていませんでした。お客様にご不安な思いをさせてしまい本当に申し訳ありませんでした…すべての責任は私にあります。】と号泣しながら伝えてしまった。『だ、大丈夫です。あったんで、大丈夫です。』私の号泣にお客様がタジタジになる。なんなら後ろに下がり始めた。【ホントに、多田屋スタッフの事を疑われたらどうしようかと…それが本当に苦しかったです…】お客様に近づき号泣しながら、私は何を言っているんだ?と思いつつも伝えずにはいられなかった。
『本当に大丈夫です。ありがとうございました。』ありがとうと言いたいのは私だ!少し落ち着いてくると、お客様が野球の村上宗隆選手に見えてきた。(似ていたと思う)あ~神様、仏様、村神様だ…。

9:53 ○○さまの財布とキーケース発見ありと○○さんからインカムあり、若女将がお客様にお渡し済

案の定、記録が残っていた…。号泣しながらとは記載されてはいなかった。まぁ報告してくれたスタッフは、普段からいつも冷静沈着であり、簡潔的に事実を伝えられる人であった。

事務所で【よ、よかったよ。スタッフが疑われなくて…】とまた泣いてしまった。総務部長と課長がうんうん、と頷いてくれた。お客様の貴重品、とっさに私は鍵付きの棚に!と指示したんだろう。災害の時だからこそ、お客様の貴重品を手にしたスタッフが自分で判断せずに、私に判断を委ねたのも素晴らしかった!なのに、私が失念していた。これは、地震があったから忘れても仕方がないとは決してならない。今も非常に反省している。

ここまで書いたのに、1月2日の出来事が1時間足らずしか進んでいない。でも自分の感情を表現するのは非常に難しく、時間がかかるという事を実感している。また続きは明日以降にしたいと思う。

社長である夫には確か、2日当日の夜にこの件を報告した。【私、今日、号泣したんだよね…】『え?なんで?』経緯を説明すると、無言で2回頷いた。これ、いつもの日常。社長の夫は地震の後もあまり変わらない。そんな社長から先ほど、地震発生後から数日間の自分が感じた事を書いたレポートを頂いた。これは経営者のトップとして考えた事、今後の多田屋の在り方としても非常に貴重な資料だと思う。これも後日紹介したい。

続く…

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