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作家になった流れ

ツイッターで「 #作家になった流れ 」というのが流行っていたので書いてみる。

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父が印刷会社勤務で母が在宅タイピストだったので家には紙がたくさんあったからか、幼い頃から絵を描く遊びが多かったのかもしれない。
父が絵を描く趣味もあったので、家族で札幌市の写生会とか参加したりして賞もらったり、学校の行事でイラストコンテストなどで選ばれたりで
「クラスで一番絵のうまい子」的な存在ではあった。
小学生の頃からノートにコマ割ってオリジナルの漫画描いたりはしていて、大学ノート3冊くらい続く漫画とかも描いていたけど、
あんまり人に見せるとかでもなくあくまで自己満足の世界だった。
漫画家になりたいとかも思ってなかった。なれるものだとも思ってなかったし。「宇宙飛行士」や「科学者」「パイロット」みたいなものと同じで。
なので漫画を描くのはあくまでも趣味で、ずっと大学ノートに鉛筆で描く段階より上(ペン入れとかトーンとか)へは進んでなかった。
自分の頭で考えたキャラやお話をノートに描いて完成させていく作業自体の達成感が好きだった。

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大学は実家を出て千葉のデザイン学科のある工業大学へ。
なんとなく実家を出たいというのはとにかくあったし、なにか絵に関わるような方面に進むのがいいんじゃないかとぼんやり思っていて。
でも美術大学とかに行けるような専門的な方向性でもなかったし…
絵は好きで得意だと思っていたけど、学校の美術の先生には「君の絵は漫画だね」とか言われていたし。
じゃあなんか…デザイナーとかイラストレーターとか。
工業大学なら就職も良さそうだし、そこのデザイン学科なら絵の方向のことも出来そうということで。
学生寮に入って、友達の誘いでなんとなく部活(体育会のアイスホッケー部)に入って。
そしたら寮は昔ながらの学生寮で、集団生活の規則がめちゃくちゃ厳しくて、部活は練習と先輩がめちゃくちゃ厳しくて。
親元を離れて楽しい大学生活&絵の勉強をして…という、高校時代に描いてた理想とはどんどん離れていき「このままじゃやばい」と感じて、結構鬱に近い状況になっていた。
この頃頭の中では岡村靖幸の『あの娘ぼくがロングシュート決めたらどんな顔するだろう』の

「寂しくて悲しくてつらいことばかりならば
あきらめてかまわない 大事なことはそんなんじゃない」

ばかりがループしていた。

それで部活は一年で辞めさせてもらって、できた時間的・精神的余裕から「何か絵に関しての自己肯定の進展がほしい。”大事なこと”をちゃんと見つけたい」的なことを思って、漫画雑誌の賞に応募してみようとひらめく。

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寮の限られた自由時間(寝る前とか)にカーテンで仕切られたベッドの中で少しずつ紙に鉛筆で漫画を描き進めて(まだ「ネーム」という概念も知らない)、
大学一年の春休みに生まれて初めて30ページの読み切りの漫画のネームを1本完成させた。
そして大学二年の夏休みの帰省中、実家で暇(バイトもしていない)なので、1ヶ月かけてそのネームを清書して、賞に投稿する用の原稿を作った。
ペン入れもトーンも何にも知らないので、鳥山明先生の「ヘタッピマンガ研究所」を読んで見よう見まねで。
夏休みの帰省中になんとかギリギリ完成して、初めて雑誌の賞に応募した。
雑誌はその頃毎週買って読んでいたスピリッツ。 ツルモク独身寮とか伝染るんです。とかくまのプー太郎が載っていたので。

それからしばらく…1〜2ヶ月して、ある日寮に電話がかかってきて。
(寮なので事務室に電話があり、そこに呼び出される)
「小学館のスピリッツ編集部の○○ですが、スピリッツ賞の奨励賞に選ばれました」と。
電話切ってから走って部屋に戻り、嬉し過ぎてうおおーーーとベッドの中(二人部屋なのでベッドの中くらいしか自由スペースがない)で腕立て伏せをしたのを覚えている。

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そこからは文字で書くととんとん拍子みたいになるけど、
その電話をくださった編集部の方が担当についてくださり、 「じゃあ次はもうワンステップ上の賞(当時あったスピリッツ誌の野望大賞)に出してみては」と言われて描いて出したら大賞をいただき、賞金100万円。
それで寮を出る資金も出来たし、学費も自分で出して、親に「漫画家になるかもしれない」と言っても頭ごなしに反対されることもない状況に自ら道を作った。
母は「ほら、歌手の小椋佳とか、銀行員しながら歌手やってるでしょ、ああいうふうに普通の仕事しながらでもできるんじゃない?」とかは言われたけど、
若くして挫折もなく百万円ゲットした自信過剰な19歳にそんな言葉は全く耳に入ってこなかった。パソコン(mac)も買った。
漫画家は今となってはもう「宇宙飛行士」ではない。もう片足がっちり突っ込めている。
大学三年でスピリッツの増刊号に読み切りを描いたり、大学四年で卒業制作に追われながら増刊号で月刊連載をして残りの大学生活を漫画家大学生として過ごす。
「もう漫画家になってるのになんで大学行ってんだろ」と思いながら。

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就職活動もしないまま(もう漫画家になる…いや、なってる…と思ってるし)大学を卒業し、
そこからずっと連載の仕事をしてたまにドラマ化されてアニメ化されて結婚して家買って死ぬまで漫画描いて生きていくんだろうなと思いきやそんなことは当然なく、
大学卒業と同時に月刊連載もなくなり、 たまに読み切りを描かせてもらってはギリギリ食い繋ぎ、一年くらい連載しては終了して一年無職だったり…
別の雑誌に移ってなんとか次の連載をやらせてもらって2〜3年連載しては終わってまた1〜2年無職だったり…
…みたいなことを繰り返して綱を渡っているうちに30年経ちましたとさ。

デビュー以降は異様にザックリしてしまったけど。 まぁたまにドラマ化されたり、ストーリー漫画描いてたけどショートギャグ漫画家になって、今またストーリー漫画(ギャグ寄りだけど)描いてたり、40代半ばで最近やっとデジタル作画に移行したり、40代でやっと初めて単行本に重版がかかるのを経験したり… で、なんとか食い繋ぎつつたまにいい思いもしたり、じわじわ進歩もしているつもりではあります。
綱はいまだに綱だけど。

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