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Clubhouseで見た景色は、交流会の端っこでダンマリしていたあの日の自分だった

Clubhouseが面白い。


使い始めた初日は、著名な起業家やビジネスパーソンの話をとにかく聞いた。リスナーだ。移動中の会話やテレビ収録直後の配信は、これまでのライブ配信サービスにはない気軽さ、目新しさを感じた。楽しかった。

翌日には自分もスピーカーとしてルームを作って話してみた。と言っても、友人と2〜3人で雑談しただけで、久しぶりの友人と電話をしたような気分だった。流行っている今だからこそ、気軽に声をかけることができた。嬉しかった。

これなら自分もいけると思った。

使い始めて3〜4日目には、周りの多くの友人知人がClubhouseを使い始めた。Twitterでも連日トレンド入り。あちこちで様々なルームができた。数人の有名人が話し数百人のリスナーを抱えるルームもあれば、5〜10人のスピーカーがテーマも決めずに雑談しているルームができた。すごかった。

友人知人たちもたくさんルームを作っていた。ちょっと話してみたいなと思って覗きに行くと、知らない人がたくさん話していた。モデレーターという機能こそあれど、モデレーターが役割を担わずともみんなが雑談を広げていた。すごかった。

ちょっと話したいなという気持ちがみるみる小さくなった。ピコンと鳴った通知に、そっと「Maybe later?」してピースサインを送った。

これをいろんな友人たちのルームで、何度も繰り返してしまった。


Maybe later?


✌🏾


大人数でのルームを主催する側に何度か回ってみた。

これなら大人数でも会話に入れる、自分も話すことができると思った。ウキウキしてルームに入った。

話せなかった。

スピーカーとして前に上がったものの、ダンマリでみんなの会話を眺めてしまった。でもそれが楽しかった。


全く同じ状況になったことがある。zoom飲みだ。

流行り初めの頃こそ、少人数でのzoom飲みは楽しく話せたものの、 5〜10人規模になると僕はダンマリになっていた。ディスカッションはできる、雑談はできない。

マイクをオフにしながら、テレビのトーク番組を見るように話を聞いていた。それが楽しかった。

Clubhouseはそれのラジオ版なだけだった。


外で自由に飲み歩けていた頃、僕は4人とか6人以上の飲み会になるとほとんどダンマリになってしまっていた。大人数でいると、どこで発言したら良いのかわからなくなるのだ。

交流会に行こうものなら、いつも端っこで一人お酒を飲み、無言でビュッフェのピザを食べ続けていた。そのくせ何度も交流会に参加していた。お手洗いに行く回数と自分のリュックの中身を確認する回数は増えた。

気心知れた友人が集まる会でも、人数が多くなると端っこでダンマリしていた。表情が貧しいのでつまらなさそうに見られがちだったけど、みんなが楽しそうに話しているのを眺めているのが好きだった。


zoomなら、Clubhouseなら、おしゃべりできたと思った。だけどそれはやっぱり4人までの少人数で、それ以上になるとダンマリになってしまう。

人の性質はそう簡単には変わらない。

オンラインだろうとどれほど良いUXだろうと、出てくるのはリアルな自分なのだ。

そんなことを思いつつ、今日も友人たちの会話を楽しく聴いている。


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