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東日本大震災とSNS。コロナと何か。

2010年代の日本は、東日本大震災とSNSによって、大きく物事が変わったのだろう。
一番大きなことは、「あたりまえの価値観」の変化。
それまで「疑っていなかった当たり前」が「当たり前じゃないかもね」ということになった。
原発事故、大きな組織の対応の難しさ、復興過程の光と影、それまでのマスメディアでは流通しなかったようなSNSで伝わっていく色んな事実、色んな感情、炎上、そして炎上への対処法、…そんな2010年代。
2000年代、たとえば、エヴァンゲリオンについて公の場で話そうものならば、「きもちわるいオタク」みたいなレッテルが貼られていただろう。そんな時代があったことを、もうその頃を生きた我々は忘れている。2021年の3月、エヴァンゲリオンの新作の話を、こんなに多様な人たちが、思い思いに語っている。10年前や20年前は信じられない光景だと思う。

趣味、嗜好、志向、…そういうことの「普通っていうのとズレてる感」(そもそも普通ってなんだ!)を、世界の誰かが認めてくれるようになってきたのが、この10年の道のりだったんだろう。

私は2011年3月、28歳で過ごしていた。20代後半で東日本大震災が起き、そのちょっと前に登録したFacebookで色んな情報を共有するようになり、LINEやInstagramが登場していった。
私と同時代に生きた人たちは、おそらく、こうした「東日本大震災とSNS」によって、生き方が変わってきただろう。
(もちろんさほど変わらなかった人もいる。人それぞれ)

そして、2020年1月に世界から注目され、歴史的に稀なほど…オリンピックを延期に追いやり、2021年現在、まだ収束を見せない「新型コロナウィルス」の感染拡大がある。
今回は、世界規模で起っている。渦中。
そんな中で、「東日本大震災とSNS」の”SNS”の存在のような、そんな対をなす何かも、きっと、この中で登場しているだろう。

次の10年、私たちに起きる変化はなんだろうか。

2000年代に変化すると思われてけっきょく変化せず…2010年代の諸々によってこじ開けられたのが「趣味・嗜好・志向の多様化と、その市民権」だったことを思い起こすと、

2010年代に変化すると思われてけっきょく変化しなかった
・仕事のあり方の多様化
・家族やパートナーのあり方の多様化
・住まいのあり方の多様化
が、おそらく、この2020年代は、急速に世の中の価値観を変えていくように思う。

私の勘だけれど。
2010年代は「シェア」の時代だっただろう。
2020年代は「自律分散化」の時代なような気がしている。

「中央管理」「私を中心とする」「私がやる意義への固執」…みたいなことから、「分散化」「状況の楽しさが中心にあるなかで、私の個としてのふるまい」みたいなことへ、、びっくりするほど、ある種の”気持ち悪さ”が2020年代に、侵食してくるだろう。

たとえばの。ひとつの予言なのだけれど。
2035年頃。
「そういえば10年前とかって、不倫って言葉があったよね(笑)」
みたいな感じで、あたかも、それを社会が問題視していたことを忘れていたかのように語られる時代がくるかもしれない。
それほど、社会は変化するような気がしています。

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