寄付やボランティアが偽善かどうかについて

学生向けの講座の最中に、とある学生から「寄付というのが、どうも偽善のようで、でもなんかわかるようで、モヤモヤしてしまうんです。どう思えばいいんでしょうか?」みたいな感じの質問を受けたので、ちょうどよかった。なんかとっても嬉しい質問。
この疑問については、私自身も通ってきた道で。
以下、いろんな先輩たちの思想を吸収しつつ、私なりの考えなんですが、、、

・ボランティアの語源はボルケーノから来ているという話(「自分の内側から沸き起こる衝動」とずっと前に教えてもらったことがあって”なるほど”って思ったりしました)

・それは日本で思考停止的に出回っている「他人への無償の奉仕」ではなく、あくまで「自分のため」。自分自身が”動きたい”という衝動からくるものだから(ここについては私の解釈も含まれます)

…この衝動は直感的なことでもあるので、あえて理屈を考えるのは野暮かもしれないけれど、私は続けて、以下のように考えるに至りました。

・「自分のため」ってさらに細かく考えると、「短期的な目線」と「長期的な目線」があると思います。短期的な欲求だったら三大欲求とかね、見栄を張りたいとかね、色々あるじゃんね、生きてたらね、と。私も色々と欲にまみれています。人間だもの(笑)

・で、もういっこ大事なのは、「長期的な目線」で、その「ずっと未来の自分のため」を想ったときに、どんな世界で生きていたいか。どういう人たちがどういう暮らしをしていたら気持ちいいんだろうか。そこに想像をめぐらせると、けっして”自分だけが心地いい”なんて世の中ではないし、地球の裏側に暮らす人たちも大事に思えることだってある。(でもこれはあくまで価値観の問題だよ。あくまで私はそうだ…ということ)

・それを想像したときに、じゃあ、今、自分の中に沸き起こるボルケーノってどんな感じだろう?
…と。

***

そんなこんなは、あくまで私が(これまで自分自身で悩んだ経験もふまえて)個人的に思っていることなんだけれど、この対話をしてみたら、質問をしてくれた学生の顔は晴れていった。あくまで私の考え方はただの私の主観でもあるかもしれないんだけれど、ボランティアや寄付が、未来をつなげる何かになるのでは、と心から考えられるような…そんな感じで、彼の中にも、何かしらの小さな一歩というか、芽生えのようなものがあったように思う。
私なんかが悩んだことなんてすっ飛ばして、早く次のステージに行っちゃいな!笑


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