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五能線の追憶(その3)

 東能代(能代?)から乗ってきた五能線各駅停車は深浦で下車した。深浦は漁港らしい風情があって、1994年よりはもの静かになった雰囲気があるものの、ひと気はそれなりにある。
 深浦駅は町並みの北側にあるので、少し南下して街道沿いを流す。やはり往時とは異なっていて、以前に泊まった旅館や夜に珈琲を飲みに行った喫茶店は見当たらなかった。
 前後するが、深浦駅からは輪行してきた折り畳み自転車を乗車可能状態にして、同行のN記者とともに走り始めた。20インチの小径車なので、いつもの650Aランドナーほどゆったりとは走れないが、まあそこは雑誌の企画が小径車のムックなので仕方ない。この企画があればこそ、長い間夢だった青森の再訪がかなったのだから。
 深浦からは国道101号沿いに北上する。延々と続く海食崖風の遠景は、小径車にはよけいに遠く見える。

 「その1」で書いた驫木(とどろき)駅の手前で、驫木の集落に立ち寄る。ここは集落が海岸段丘上にあり、五能線は海抜とほとんど同じくらいのところを走っているので、駅前には何もない。
 驫木の集落に国道101号から折れて入り込むときにはっとなった。頬かむりをした熟年女性を見かけて、明日はもう5月だというのに、やはりそれは風の強い津軽特有の慣習なんだろうとそのとき初めて気づいた。ずっと昔に見た津軽地方の写真の数枚に、そういう女性を見たことがあったのだ。
 それもすでに10年以上前のことで、今地図を見たら、国道101号にはさらに内陸側に新道ができていた。
 驫木の駅では、非常に運が良かったと言うべきか、当時ですら1時間に1本ないくらいの列車がちょうど来たところで、深浦方面に南下してゆくキハ40系を撮影することができた。段丘上にある屋根屋根が驫木の集落の北端ぐらいだ。

 北上を続けて、大戸瀬という駅に至る。国道の新道ができていたが、1994年に通ったはずの五能線沿いの旧道に入り、駅前に至る。
 このあたりもそうだが、青森の日本海側の風景は、妙に空が高いというか、風景にスケール感があって、地の果てのそのまた果てを予感させるような広大さが暗示されている。
 目の前の風景が北海道的にだだっぴろいというわけではない。そうではないのだけれど、風景に一種の空虚な奥行きがあって、それが不思議な時空感を作り出している。有体に言って、どこか大陸的というか、異国的な感じがするのである。これは五能線沿線の開けた風景のところだけでなく、津軽半島の日本海側全体で感じられたことでもあった。

 大戸瀬駅では地元のおばあちゃんと少々話をした。「今はもうだみだ」と言っていた。景気が悪いということなのである。国道101号の新道はできているが、それはむしろ、旧来からの商店などを迂回するようになってしまっているように思えた。
 この年、2008年にはリーマン・ショックもあったわけだから、地方経済はますます逼迫してくる直前であったのだった。
 どうにも切ない気分に浸りながら、それでもペダルを回せば、五能線随一の観光名所と言っていいだろう千畳敷に至る。正午をとっくに回った時間帯だった。

「その4」につづく>

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