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五能線の追憶(その2)

 2008年の4月30日。前夜、寝台特急「あけぼの」で上野を出た私とN記者は、日本海沿いを走るB寝台で朝を迎え、東能代駅で輪行袋に入れた20インチ折り畳み車とともに下車した。
 ちょうどまだ通勤通学の時間帯で、東能代駅ではけっこうな人数の高校生がホームに立っており、意表をつかれた感じで奥羽本線から五能線に乗り換えたが、次の能代駅から先はえっと思うくらいガラガラになった。
 1両、いや数両編成の列車にいったい何人乗っているのだろう。本当に「数えるほど」しか乗ってない。降車予定の深浦駅まではけっこうな時間を乗るはずだが、缶コーヒーぐらいしか買っていなかったと思う。
 そもそも朝飯はどうしたんだっけ? 上野では夜食の弁当をN記者が買ってきてくれて、出発後に食べた記憶があるが、はて、夜の明けた「あけぼの」車内で何か食べたかどうか、さっぱり覚えていない。
 そうこうしているうちに列車は米代川を渡り、ローカル世界の中へどんどん進んでゆく。気動車の列車はキハ40系で、クロスシート。いかにも国鉄時代を彷彿とさせる車両で、ローカル線にこれ以上似合う車両もなかろうという感じだ。
 車外は薄曇りというか、空の青のかわりに高いところを雲のヴェールが覆っている感じ。どこでも好きなところへ座れる車内状況だったから、日本海側に陣取って、後ろ向きに座る。

 後方に遠ざかってゆく風景を見るのが好きなのだ。前から近付いてくる風景を見るより、そっちのほうがいい。
 海も角度によっては鉛色で重い。北緯40度近辺のこの辺りでは、春はまだ浅い。白神山地と日本海のあいだのわずかな平地に、家並みや道路やこの五能線が延びている。
 どこかの港のところで、車窓から風変わりな岩塊を見た。

 デジタル画像なので、撮影した時間が刻印されており、09:17ということだった。もう10年以上前のことなので記憶もだいぶ怪しく、画像を見ている限りではなんだか午後の画像のようだけど、まだ午前中なのであった。

「その3」につづく>

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