見出し画像

失われゆく駅そばへの郷愁

駅そばは各地で衰退しているらしい。
特に地方のJR路線でそれは甚だしく、ローカル線は言うに及ばず、東海道本線のような幹線にあっても、駅そばの店舗はその数をずいぶんと減らした。
私のJR最寄り駅にあっても、ティーンエイジャーの頃は待合室とホームにそれぞれ立ち食い駅そばの店舗があった。
バブル経済がはじけた頃に両方消えたような気がする。

1980年代の東海道本線の急行停車駅には、たいがい駅そばがあり、ローカル線が分岐するような基幹の駅には、各ホームごとに店舗が存在していた。
頼めば1分と経つか経たないかくらいで出来上がるので、特急通過待ちの10分プラスアルファ程度の時間でも食べることができた。
店舗によりそば麺や汁の差異は多少はあるが、駅そばは食べられること自体がありがたいので、自分の経験では「不味くてどうしようもない」というのは一度もなかった。
ただ、最寄駅のは本当に美味しくて、中高生の頃など、電車に乗るわけでもないのに外に自転車を止めて食べたような記憶がある。
私はこれで駅そばを好きになった可能性が充分にある。

自転車旅行を再開した1990年代の前半、青春18きっぷで東海道本線大垣発東京行きの夜行(家出列車、と呼ばれていた)で出発し、山手線始発で上野駅に行き、そこから東北本線始発で盛岡まで鈍行で行く旅を2年連続でやったことがあるが(拙著『七つの自転車の旅』<平凡社>にも書いた)、このときも福島駅あたりでか、ホームの駅そばのお世話になった。
北陸本線で雨の芦原温泉駅から空腹のまま輪行して、福井駅あたりでようやくありついた「ニシンそば」も忘れられない。
こればかりは静岡あたりで見かけることはまずないのである。

学生の頃、東京から帰省するのにいちばん良く使っていたのは、東京駅を16時過ぎくらいに出発する「急行東海」で、よく乗った金曜日などは、熱海、三島を過ぎると車内はガラガラになる。
そして沼津では、後続の寝台特急に追い越される。この間の停車時間が10分あまりあり、私はいつもその時間を使って沼津駅東海道本線下り線ホームの駅そばを食べていた。
ちょうどまた腹の減る時間帯でもあった。
いちばん後ろの車両に乗るのが好きだったこともあり、沼津を過ぎると、あとはもう1車両に数名しか乗っていないことがざらだった。
その急行東海も1996年3月のダイヤ改正で姿を消し、後継の「特急東海」も今は存在していない。
沼津駅東海道本線下りホームの駅そば店舗もすでに消滅している。

駅そばが激減した背景には、駅前のコンビニやファーストフード店などの進出により、1980頃などに比べると、格段に軽食類の調達が容易になったこともあるだろうし、そもそもそばを手軽に食べたいという人口が減少したことも考えられる。
大学の学食なども、昔はカレーライスかそばぐらいが定番だったのが、今ではもっとメニューが増え、そばが存在していない学食も珍しくはないらしい。

そうは言っても首都圏では圧倒的に乗降客数が多いので、改札外も含めれば、小田急線の「箱根そば」とか、いつも混んでいる。
困るのは地方なのだ。
飯田線のような長大ローカル線では、おそらく改札を出ずにあたたかい食事をとることは相当に困難だろう。
東海道本線の地方区間だってそうなのだから。
駅そばは、ひとつの経済指標なのかもしれない。

物事はすべて変化するので、そのうちまた駅そばに代わるものが生まれる可能性もあるが、湘南色の急行電車の傍らで、立ち食いそばをすするようなことは今後もうあるまい。
切ないながら、ね。

ご支援ありがとうございます。今後とも、よろしくお願い申し上げます。