V系note

ヴィジュアル系「差別」の歴史を考える(市川哲史×藤谷千明『すべての道はV系に通ず』第8回)【不定期連載】

80年代以降の日本の音楽を「V系」という切り口から問い直す、市川哲史さんと藤谷千明さんの対談連載『すべての道はV系に通ず』。今回は、ヴィジュアル系バンド・ファンに対する「差別」がテーマです。90年代の「J-ROCK」からゼロ年代の「邦ロック」へと至る過程で起きた〈分断〉とは――?(構成:藤谷千明)

「90年代V系はアリ」という空気になってきた2010年代

藤谷 前回予告したとおり、今回は〈ヴィジュアル系と差別〉といいますか、「ヴィジュアル系」という言葉やジャンルそのものに対しての反応の変遷を追ってみたいんですよ。

昨年秋に開催された『VISUAL JAPAN SUMMIT』三日目にMUCCの逹瑯(Vo)がMCで「いつからヴィジュアル系がかっこ悪いとされるようになったんだろう」と言ってたじゃないですか。「ファンやミュージシャンもヴィジュアル系やってるって胸張って言えるような未来にしていきたい」とも。

市川 うん。使命感を背負った者って、常に美しいねぇ(←遠い目)。

藤谷 MUCCのメンバーと私は多分ほぼ同世代だと推測するのですが、私くらいの世代からしたら「よくぞ言ってくれた!」みたいな感覚なんです。けれども私よりずっと若い人、いわゆる〈ネオV系〉世代のファンの知り合いが「ちょっと言ってる意味がわかんない、だって私はこれまでヴィジュアル系をかっこ悪いと思ったことがない」ということを言ってて。

市川 それは戦後生まれか戦中生まれで戦争の解釈が異なる、みたいな話なんじゃないの?
ましてや私のようなV系における〈戦前生まれ〉だと、きっとそれ以上に違うわけで。

(参考:金爆は「最後のV系後継者」!? "V系の父"市川哲史ロングインタビュー

藤谷 《J-ROCK》と呼ばれていた90年代のことを思い出すと、大概のリスナー側はXもLUNA SEAもイエモンもミッシェルもブランキーも普通に聴いてたと思うんですけど、これがゼロ年代に入って《邦ロック》と呼ばれる時代になると、分断されてしまったというか。そもそもゼロ年代ヴィジュアル系がインディーズばかりで外のジャンルから見えにくくなったからなのか、逆に「ジャンルの壁を超えていこうぜ!」みたいな話が出てくるようになるんですよ。〈異種交流〉的に銘打ったイベントで、V系とそうでないジャンルが同じステージに立ったり――でもぶっちゃけ、「どっちのCDもタワレコで売ってるじゃん?」ってことじゃないスか!

市川 どーどーどー。というかその話、私にはぴんと来んなぁ。その昔、ジャパメタだったりV系だったりアイドルロックだったりが差別された時代はたしかにあったけども、そうした差別を生んだ諸悪の根源は雑誌メディア――音楽誌の存在だったと思う。総合系も専門系も「○○は本誌に合う/合わない」「載せる/載せない」と勝手に垣根を作ったからこそ、ファンもバンドもレコード会社もマネジメントも〈区別〉するようになった。でも時は流れて音楽誌文化もすっかり廃れ、強いて言うならフェスの時代なんだろうな。だってV系とその他のロックを未だに区別してるメディアは、もはや『ロッキング・オン・ジャパン』だけなんじゃない? その『ジャパン』が自社フェス頼みの現状っていうのがまた、象徴的だったりするんだけども。

だから話は逸れちゃったけども単純な話、『ロッキング・オン・ジャパン』に載ることだったバンドやレーベルやマネジメントのかつてのゴールが、「フェスに出てるロックバンドが恰好いい」に変わっただけのことなんじゃないのかなぁ。風潮的に。

藤谷 ヴィジュアル系バブルが終わった直後は、ヴィジュアル系に影響を受けたミュージシャン、たとえばORANGE RANGE(の周囲)がV系に影響を受けていることを伏せさせていたというエピソードが、市川さんの『私が「ヴィジュアル系」だった頃。』にもあったじゃないですか。それが2010年代に入ると、見るからに90年代V系の影響が濃く、後にLUNATIC FEST.(本連載第2回参照)にも出演することになる凛として時雨や9mm Parabellum Bulletだけじゃなく、Base Ball Bearみたいな一見音楽性も離れているようなバンドのメンバーも、Twitterで2010年のX JAPAN東京ドーム3DAYS公演やLUNA SEAのREBOOT宣言についてつぶやいたんですよ。さっきのORANGE RANGEの話のようにV系は黒歴史扱いされてたからこそ、凛として時雨のピエール中野さんのTwitter上での発言「LUNA SEAは日本のバンドマンに1番影響を与えているかもしれない」をよく憶えています。そして世の中的に、LUNA SEA・Xみたいな90年代V系はアリという空気になっていたわけですよ。

市川 すべてが水に流れちゃったというか、流されちゃったというか。

藤谷 そしたらメディアも掌くるりんぱしたというか。なんだかゼロ年代のヴィジュアル系冷遇時代を耐えてきたこちらとしては、「へぇ〜〜」みたいになるわけですよ。

90年代、週刊誌によるV系茶化し記事の横行

市川 実は見落としがちなんだけどそもそもバンドブームの時点で、化粧してるバンドは沢山いたわけ。しっかり化粧してたもの、BOΦWYだってRED WARRIORSだってTHE STREET SLIDERSだって。たしかに日本のロック黎明期からRCサクセションとかYMOとか化粧してたけど、それまで洋楽畑で仕事してた私としてはびっくりぽん(←死語)だったね、「なんで?」と。だってあのデヴィッド・ボウイですら、地方都市の中高校生から〈化粧してる男はオカマ〉呼ばわりされてたのが日本の70年代の実情だもの。

ところがやがて、メイクはヤンキー少年たちにとって〈希望〉そのものになった。だってどんなに細い目だって地味な顔だって化粧したら綺麗に見えるじゃん、女子みたく。まあ未だに全国で流行ってるYOSAKOIとかソーラン節とか、メイクすれば非日常に簡単に行ける素敵なヤンキー文化なわけでさ。誰だって恰好よくなれちゃうんだから。

藤谷 それはわかるんですけど、「化粧をしてる」っていうことと「ヴィジュアル系というジャンルである」ってことって、微妙に重なってないと思うんですよね。中性的なメイクもですけど、ある種のナルシシズムが分水嶺になっているというか。

ちょうど手元に1997年の『週刊プレイボーイ』の《いーかげんにしとけよ〈ヴィジュアル系〉自己陶酔バンド》というV系茶化し記事があるんですけど、いきなりリード文から〈BOΦWYまでは許せたけどRYUICHIのような自己陶酔ロックはダメ〉みたいな(苦笑)。合計4ページに渡って〈愛用ブランドはゴルチエとルナマティーノ〉〈少女漫画ロック〉と、今となってはDisなのかよくわからないDisが続く内容です。

市川 内容以前に、よくそんなもんまで見つけてくるよねぇ藤谷さんは……。

藤谷 違うんですよ違います違います! 国会図書館で〈ヴィジュアル系〉で雑誌検索するとこういうのばっかり出てくるんです!! 好きで探してるわけじゃないんです……。

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