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中川大地 ふたつの「GO」が照らす〈空間〉と〈時間〉―――『ポケモンGO』『Fate/Grand Order』が体現する脱ソーシャルゲームの道筋 前編(現代ゲーム全史・特別編)

文筆家/編集者・中川大地さんの『現代ゲーム全史』刊行から1年余。2015年で完結していた同書の“先”の展開を、特別編としてお届けします。日本ゲームのソーシャル性の原点とも言える『ポケットモンスター』から20年。2016年に登場した『ポケモンGO』は、国産ゲームの発展とは切り離された脈絡から逆輸入され、人々に衝撃を与えました。今回は日本型ソーシャルゲームの発展と現状を踏まえつつ、『ポケGO』が見せた文化的な意義に迫ります。 ※本稿は『ユリイカ』2017年2月号特集「ソーシャルゲームの現在」寄稿の同名原稿に加筆修正したものです。


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「脱ソーシャル」ゲームの時代

 はじめに、そろそろ古めかしさの漂いつつある「ソーシャルゲーム」と呼ばれるゲームジャンルの成り立ちと現状を確認しておこう。
 元々この語は、2000年代後半に登場したPCやフィーチャーフォン(ガラケー)ベースのSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)で構築されたソーシャルグラフ(登録会員のネットワーク)を利用して行われる、簡易な多人数参加型ブラウザゲームを指すカテゴリーとして登場した。
 日本での大きな転機としては、『サンシャイン牧場』(2009年)や『怪盗ロワイヤル』(2009年)における、基本無料のアイテム課金型ビジネスモデルの成功によって、「Mobage」と「GREE」を双璧とするソーシャルゲーム市場は急拡大。さらに『ドラゴンコレクション』(2010年)などで確立された、ガチャ等によるコレクション要素のある簡易トレーディングカードゲーム(TCG)型のゲームデザインが驚異的な課金ユーザーの増加を促し、わずか数年で従来の家庭用ゲーム市場を抜き去るに至った。

 しかし2010年代に入ると、スマートフォンの普及が進行し、ガラケー時代のゲームSNSは成長期に劣らぬ急速さで衰退。とりわけ『パズル&ドラゴンズ』(2012年)のブレイク以降は、モバイルゲームの主流はネイティブアプリ型へと一気に移行し、SNSに立脚するという元来の意味でのソーシャルゲームは、ほぼ衰滅したも同然の状態となっている。
 したがって現在「ソシャゲ」と略されながら慣習的に用いられているこの俗称は、『ドラコレ』以来のカードコレクション型のシステムを踏襲している、単なるフリーミアム課金型モバイルゲームの謂となりつつある。のみならず「ソーシャル」の原義に反し、2012年のコンプガチャ問題や2016年頭の『グランブルーファンタジー』(2014年)でのレアキャラ登場確率問題でしばしば槍玉に挙げられるように、反社会的な業態のレッテルに堕している面さえある。

 ソシャゲにおける有料アイテムの価値の多くは、究極的には時間経過によって無料でプレイできる権利が回復していく「スタミナ制」のゲームデザインに立脚している。つまり、良心的なタイトルであれば、無課金でも時間をかけたり戦略を工夫をしたりすることでゲームを楽しめるのだが、少なからぬユーザーがそれでは不足を感ずる難易度バランスになっている。それゆえ、様々なアイテムを購入したり、強いユニットのカードを引き当てることでハードルを引き下げ、トライアルの時間を短縮するために、人々は課金に誘導される。
 これは悪く捉えれば、ユーザーの可処分時間を搾取してカネに換える〝時間泥棒〟なビジネスモデルに他ならない。加えて、その価値の正味の多寡がカードガチャのような射倖心を煽る手法によって不透明になっているため、パチンコ同様の情弱騙しのビジネスと目され、現在の日本型のソシャゲは、従来のゲームファンやコンテンツ愛好者から白眼視される蔑称としてのニュアンスをも帯びてしまっているのである。

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