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世界中で始まった“可処分精神”の奪い合い | 前田裕二

SHOWROOMを率いる前田裕二さんの連載「仮想ライブ文化創造試論 ―“n”中心の体験設計―」。第2回では、エンターテインメントビジネスが〈モノ〉や〈コト〉の消費から、〈ヒト〉が中心となる可処分精神の争奪戦へと至るまでの変遷を追いかけながら、大陸系ライブサービスと従来型のテレビの中間に位置するSHOWROOM独自のメディア戦略について語り合います。(構成:長谷川リョー)

前田裕二『仮想ライブ文化創造試論 ー“n”中心の体験設計ー』
第2回 世界中で始まった“可処分精神”の奪い合い

分散した大衆が演者として輝ける「評価経済市場」

前田 文化論としてライブ配信サービスを紐解く前に、ビジネス文脈でも少し議論させてください。まず外せないのが、エンターテインメント業界における稼ぎ方の変容についてです。SHOWROOMが目指したマネタイズの形は、エンターテインメント業界における第3世代の軸である、「直接支援モデル」です。

第1世代の軸はご存知、パッケージによるCDやDVDの販売。DL販売もここに入ります。サブスクリプションモデルをこの軸に入れるかどうかは議論のあるところですが、あくまでユーザーが「楽曲を聴く」、「映像コンテンツを視る」という、コンテンツの対価としてお金を払っている以上、性質としては、第1世代の軸であるパッケージビジネスの延長線上にあると考えています。逆に当該市場参加者が皆パッケージを捨てて、「聞き放題/見放題」に完全移行すれば、パッケージの売上が綺麗にサブスクビジネスに乗り、更にスマホなど新デバイスの利を得て、既存パッケージ市場のリプレイス+αの成長を享受できるとも考えていますが、北米で起き始めているこの現象が、日本でも起きているとはまだ言えません。それは、アーティストをはじめ、コンテンツホルダーが依然、サブスクモデルに全体重をかけて乗り切らないから。逆に市場全体が戦略的にサブスクに移行できるのであれば、日本でもここが大きなビジネスチャンスになる可能性があります。とは言え、長期的視座に立つと、デジタルコピー可能なコンテンツの価値は、遅かれ早かれゼロに近づいていくというのが僕の仮説です。現状は著作権で守られていますが、漫画村の問題がイタチごっこになっていることをみても、体験価値やヒトが紐付いていない、純粋なコンテンツにお金を払うモデルは、長い目では縮小に向かっていく可能性が高い。そう思います。

第2世代の軸は興行・ライブ・物販から成るビジネスモデル。日本を代表するエンタメ業界の上場企業、アミューズやエイベックスの収益構成を見ても、第2世代のビジネスモデルがもたらす営業収益の比率は、わかりやすく上がっています。アミューズの収益のうち9割弱を占めるアーティストマネジメント事業の中身を見ると、8割がライブ・物販ビジネスからの収益になっています。つまり、パッケージビジネスの落ち込みを、よりリアルな体験やコトにお金を払ってもらうビジネスで補填しているというわけです。もともとパッケージビジネスを通じて培ってきたコンテンツという強みを体験価値に転換して新市場を生み出す。これはとても合理的に思えます。ただし、このやり方にもやはり、限界があります。東京オリンピック開催に伴い、日本武道館、東京国際フォーラム、幕張メッセ、さいたまスーパーアリーナといった大バコが使えなくなる上に、改修に入る会場もある。このように、ライブをする場所自体が枯渇していくという「2020年問題」が危ぶまれている今、日本国内においてライブができる回数自体が限定的になってくる。加えて、売り上げが単価×客数×回転率であり、単価と回転率が一定であると仮定する以上、客数に限界があるこの第2世代のビジネスモデルは、スケーラビリティに限りがあるのです。アミューズとスタートトゥデイ(ZOZOTOWN)の時価総額を比べるとわかりやすいのですが、両社とも売上自体には大差はないのに、前者の時価総額が約600億円、後者が約1兆2000億円と企業価値に20倍もの開きがあると評価されるのは、市場から見た成長可能性の差だといえます。

ここまで議論した2つの軸がどちらかと言えば資本市場を前提していたのに対し、第3の軸では、「評価経済市場」へ移行していきます。これまではアーティストとファンの間にさまざまなステークホルダーが入り、アーティストがコントロールできないところで、利益の線引きを行なっていました。それが障壁となって、才能のある演者が前に出られないこともあったろうし、仮に才能を活かせたとしても、稼ぎが限定されてしまう構造があったわけですが、今では流通、メーカー、パッケージなどの価値が改めて問われ、アップデートが求められる時代になりつつあります。演者がファンを喜ばせるために本当に必要なものだけが残り、洗練されつつある。最終的にはファンと演者が直接つながり、演者はエンターテインメントが必要なファンのためだけに作品を生み出すような、大昔に存在していたような有料ブティック型のビジネスモデルが次々に確立していくでしょう。音楽家が王様の前で演奏するために宮殿へ出向いていた中世の世界に近いかもしれない。エンターテインメントは、こうしたプリミティブな世界に戻っていくのではないかと直感しています。

劇場という一般人が入場可能な娯楽施設、また、CDやDVDといった誰でも手に取れるパッケージを作ることで、特権階級に限定されていたエンターテインメントが大衆化されました。これは、オーエディエンス側の話です。今度は、アーティスト側で同様な変革が起きます。つまり、今では一部の階級に限定されていた、「表現する」、「見られる側に回る」という行為が、大衆化される。誰でも自分の劇場が持てるし、番組が持てる、楽曲が出せる時代に突入するのです。その前提として、規模は大きくなくても、全ての表現者にオーディエンスが紐付いていく必要があるのですが、それを可能にするのが「評価経済市場」です。評価経済という、昨日までは誰でもなかった一個人をエンパワーしていく仕組みが、自立分散するニッチコミュニティを無数に成立させ、演者が好きなことで生きる可能性を広げていきます。たとえば、SHOWROOMには、ちづるさんという50歳の主婦のアイドルがいます。彼女は数百人の濃いファンを抱えていて、そこで経済が回るコミュニティがある。こうしたコミュニティが1万個...10万個...と広がっていく未来を想像しているし、僕らの手で確実に作っていきたい。

所得でも時間でもない。“可処分精神”の奪い合いが始まっている

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