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宇野常寛『汎イメージ論 中間のものたちと秩序なきピースのゆくえ』第一回 中間のものについて(2)【金曜日配信】

本誌編集長・宇野常寛による連載『汎イメージ論 中間のものたちと秩序なきピースのゆくえ』。今回は震災以降の日本の動向を振り返りながら、新しい民主主義への希望の挫折とインターネットの直面した壁について論じます。(初出:『小説トリッパー』2017夏号

3 昼の世界/夜の世界

 境界のない世界とそのアレルギー反応の連鎖は、かたちをかえてこの国でも進行している。

 たとえば二〇一二年の末、私は主宰する雑誌(「PLANETS」 vol.8)の巻頭言で「昼の世界/夜の世界」という概念に言及した。これは元々は同誌に参加した社会学者(濱野智史)の造語だ。この国における情報革命は、九〇年代にアニメやゲーム、ポルノグラフィといったサブカルチャー、つまり文化領域から発展していった。西海岸におけるギークたちがそうであったように、この国ではオタクたちがインターネットという新しい武器の大衆化を担ったのだ。

 その結果、たとえば日本の「ガラパゴスな」インターネットはモバイルでテキスト、音楽、映像などを娯楽として消費することに特化したi-modeと、匿名掲示板2ちゃんねるからその思想――匿名のコミュニティによる集団的創造性の促進――を抽出した動画共有サイト、ニコニコ動画が代表することになった。

 そう、当時の私たちはこれら「夜の世界」の思想とそこで培われた技術が、やがて政治や経済といった「昼の世界」に浸透し、この閉塞した社会を、「失われた二十年」を正しく終わらせると信じていた。私たちはこのときすでに多くの武器を持っていた。私たちは二〇世紀的なイデオロギーでしか物事を語ることのできない新聞記者や進歩的知識人を鼻で笑うことができた。憲法九条とその是非が形成する国民的アイデンティティの問題を正しく「横に置いて」、リアルポリティクス的に外交戦略を議論する用意があった。昭和の大企業のサラリーマンたちが結果的に身に着けた鈍感なふりをする小賢しさを成熟だと勘違いする愚を正しく軽蔑し、グローバルな世界市場のプレイヤーとして闘う夢を語ることができた。そしてクールジャパン的な国策にやれやれとため息をつきながら、インターネット上に氾濫するサブカルチャーに耽溺しつつ、そこで得た智慧と技術をあらゆるものに応用していく自信があった。

 そしてその前年に列島を襲った東日本大震災とその後の福島の原子力発電所事故のもたらした社会の分断と混乱は、結果的にこの「夜の世界」が「昼の世界」に打って出るための転機であると考えられていた。この国の情報革命の中核にいた団塊ジュニア世代は不惑を迎え、このときはすでに社会の中核を担おうとしていた。私たち後続世代は彼らの背中を押し、あるいはその仕事を批判的に継承し、追い越して突破口を広げることだけを考えていた。しかし、現実はそうはならなかった。

 あれから五年、結局この国は何も変わらなかった。

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