現象としてのゲーム

プレイヤーのいないゲームは存在しうるか? | 井上明人

ゲーム研究者の井上明人さんが、〈遊び〉の原理の追求から〈ゲーム〉という概念の本質を問う「中心をもたない、現象としてのゲームについて」。今回は、ゲームの本質を、プレイヤーが技能を習得する過程にあると考える「学習説」に、ルールやゴールの存在を重視する「ルール/ゴール説」を接続することで、ゲーム体験を包括的に説明しうる理論の構築を試みます。

井上明人『中心をもたない、現象としてのゲームについて』
第13回 プレイヤーのいないゲームは存在しうるか?

3−2−2.プレイヤーのいないゲームは存在しうるか?

 ここまでの議論を別の角度から問うことにしよう。Björk【注1】らはゲームとは何かという問題を考える上で重要な論点の一つとして「プレイヤーのいないゲーム」について考えるということを挙げているが、本稿でもその問題を取り扱うことにしたい。

 「プレイヤーのいないゲームというのは存在しうるだろうか?」

 ここまでの議論を踏まえると、この疑問に対する答えはイエスとも、ノーとも言える。

1)プレイヤーのいないゲームは存在しない

 ゲームというものは、しばしば誰かしらの人間の遊び手によって積極的に遊ばれるものと想定されることが多い。特にゲームというものが誰かによって楽しまれたり意思決定されたりするような何かしらの人間の認知現象を介したものとみなすような立場(認知論的立場)からすれば、プレイヤーのいないゲームというのは存在しないということになる。
 たとえば、人間の主体的な認知を要するものとしては、学校における学習場面のようなものがあるが、学校における学習は教師側の役割が映像教材のような意識をもたない存在になることは可能かもしれないが、生徒の側が人工無能的な弱いAIのようなものになるといったことは考えにくい。AIにサンプルデータを学ばせることもまた学習とは呼ばれることには呼ばれているが、いまのところはそれが、人間のような存在が何かを学習するということとほぼおなじものとみなすことは少ないだろう。特定のアルゴリズムの集合体に、データを読み込ませるという行為と、人間の学習という行為のあいだには、いくつかの違いがあるが、その大きな違いの一つは何かしらを認知する意識の有無だ。意識のない存在が喜んだり、悲しんだりするという想定を我々はもっていない。
 現実空間をごく決められたパターンでしか認識できないようなアルゴリズム同士が、学校のような現実空間で、教師役と生徒役をやっていたとしたら、それは何かポストアポカリプス的なシュールさの漂う風景に見えるだろう。せめて生徒役は、もう少し意識のある存在でないことには、我々の日常感覚からするとあまりにも変わった風景に見える。
 人間の意識を必要とするはずの「ゲーム」というものが、人間の介在を必要としないというのは、どうも奇妙だ。その意味で、プレイヤーのいないゲームというものは存在しない、といえる。

2)プレイヤーのいないゲームは存在する

 では、「プレイヤーのいないゲームは存在する」とはいいうるか?といえば、これを支える立場は、議論の立ち位置を逆にすることで成立させることが可能だろう。つまりルールやゴールといった形式によってゲームを定義するような――ここまで「形式論」と呼んできた――立場に根ざして考えれば、むしろこちらのほうが自明だということになるだろう。

 先述のBjörkらの指摘【注2】でも、プレイヤーという概念を、意識のあるものとして想定しないかたちで、「プレイヤーのいないゲーム」の例がいくつか挙げられている。
 たとえば、近年コンピュータによる将棋や碁のプログラム同士の対戦が話題になることが多くなったが、将棋AI同士の対戦を観戦するときに、そこで「ゲーム」が行われていると思うことができるのならば、そこには「プレイヤーのいないゲーム」は存在している、と言いうる、ということになる。

 将棋AI同士の対戦は、ルールもゴールも明確に設定されており、ゲームのエージェント【注3】同士のインタラクションも存在する。こういったかたちでゲームとしての形式的なポイントがおさえられていれば、それはゲームだといいうるという立場をとることはできるだろう。

 以上、二つのまったく別々の解釈について述べてきたが、これらを一行にまとめてしまえば、プレイヤーのいないゲームは存在するとも言えるし、プレイヤーのいないゲームは存在しないとも言える、という結論になる。

 両者はもちろん、相容れない結論である。しかし、前者は認知論的に一貫した説明が可能であり、後者は形式論的に一貫した説明が可能である。つまり、そこには認知論か、形式論か、という前提の差がある。この前提の差がなぜ生じるのか。

 「プレイヤーのいないゲームは存在するか?」という問いは、この前提の差を整理することを通して、より明確に理解されることになる。

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