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音楽の記憶

少し前のナムさんのIGに坂本龍一氏の曲があった。
その流れでふと、YMOのRYDEENを久しぶりに聴いてみた、

たぶん聴いたのは何十年ぶりだと思う。

懐かしいと同時に身体に電流が走るとはまさにこのこと。すぐにスマホ内蔵スピーカーではなくBluetoothでスピーカーに飛ばして聴いた。
改めて、42年前にこんな曲があったことに驚く。
以来1ヶ月程、私はRYDEENを毎日聴き続けている。

RYDEENが街に流れていた頃、私は小学生。初めて父に連れて行ってもらった喫茶店のタバコとコーヒーの匂い、インベーダーゲームの音、苦いレモンスカッシュの味を思い出した。
それからレモンスカッシュに入っていたさくらんぼの枝を口の中で結ぶ父の得意げな笑顔に爆笑する私も。

私はこの曲を忘れていたのではなくて、
ちゃんと身体に色んな記憶と一緒に残っていた。

音楽って聴いた瞬間、その曲を聴いていた頃の匂いや色や感情や思い出がすぐに蘇って、まるでその間の空白の時間がなかったかのように突然タイムトリップできるのだ。

しかしこの曲、とにかく耳に残る。
この曲とTECHNOPOLISが頭にこびりついて日中の仕事がやたらはかどる。
なぜこんなに懐かしいのに新鮮で、軽快なリズムの中にほんのちょっと切ない感じ、忘れられないインパクトと中毒性があるのか。

RYDEENことがもっと知りたくなった。

色々調べてmoogというシンセサイザーのこと、YMOは日本では最初売れなくてアメリカでブレイクして逆輸入だったこと。YouTubeを身漁っているうち「そして音楽が始まる」 という番組(2003年3月16日(日)放送)に行き着いた。

馬が駆ける足音のリズムと、3人がとにかく楽しんで作ったという音楽に対する情熱と遊び心がたっぷり込められていて、この曲を聴いて何だかワクワクする理由が少しわかった気がした。

ところで私は今、聴いているのはもちろんRYDEENだけではない。
毎日毎日バンタンの曲を片っ端から聴いて、彼達の動画を見て、最新の情報を追いかけ、感動して泣いたり笑ったりしている。
彼達の曲に込める想いも、物凄い練習も曲が世に出た瞬間のアミさん達の熱狂も感動の涙もおかしくなるほど見て聴いて感じている。

何年後かに同じようにバンタンの曲を聴いた時、
今この楽しい毎日のことやナムさんの事がとにかく好きで好きでたまらない気持ち、そんな夢中でキラキラした日々が同じように蘇って、アミボムの光の海や出会って一緒にキャーキャー言ったアミさん達を思い出して、私はまた泣くのかもしれない。いや絶対泣く。


以前ナムさんはこんなことを話していた。

画家が最もうらやましかった理由のひとつが、死んでからも、ある空間に、時には別の国の誰かにも、その空間にその絵がかかっている時の感覚を与えられることなんです。音楽も、曲とライブの映像が残りはしますが、時を超えてその空間で、変わらないまま、鑑賞者と遙か昔の芸術家が出会うということ、それは画家だから可能なことなので、羨ましかったんですね。
(weverse magazineより)

ナムさんに伝えたい・・・

音楽も色褪せることなく
永遠にその人の中に生き続けるということ。
バンタンの曲を聴くたびに
7人と会えるんだということ。
世界中の鑑賞者がその感動を同時に
いつでも味わえること。

音楽って凄い。

耳で聴いたメロディだけでなく、五感の記憶に寄り添いいつまでもその人の中で生き続けるのだ。

バンタンの音楽とその思い出はきっと、
永遠に私の中にある。



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