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映画『トゥルーノース』、中高生と親に観て欲しい。本当の人権と、隣国と自国のことを知るために。そして、小さな行動をする勇気を持つために。

映画『トゥルーノース』のお話です。

「12万人の北朝鮮の人が強制収容所で生活をしている。その人たちを助けるために、私はこの映画を作りました。私である必要がありました。」清水ハン栄治監督の言葉を、私はこのように受け取った。

清水ハン栄治氏とについてはforbesの記事がわかりやすいのでこちらをご覧ください

2021年6月19日木曜日。私は18歳の高校生の息子と一緒にこの映画を観に行った。公開前から観たい映画だったのだが、東京のcovid-19にまつわる緊急事態宣言、横浜の蔓防で、なんとなく外出しづらい気持ちもあった。しかし、6月4日にあった『トゥルーノース』を鑑賞者向けの、清水ハン栄治監督のzoom会に(まだ鑑賞していないのに)参加したので、絶対に、できるだけ早く「映画を観に行く」のと「観賞後にSNSに書く」ことを実行したかった。大雨の降りそうな気配の中、みなとみらいに向かった。横浜で上映しているのはソコだけで、横浜市ながらも我が家からはちょっと遠い。最近、世界に興味のある息子を誘って映画館に向かった。終了後、「僕も清水ハン栄治との話ができる会に参加したかった」と息子が言った。そして、高校生が見る必要のある映画だと確信した。

私が清水ハン栄治監督に興味を持ったのは映画『happy-しあわせを探すあなたへ』を仲間が教えてくれた時だった。今年の3月に起業し、教育を中心とした事業展開を準備している。その大きな目的が「国民幸福度の高い日本になるための学びを学校現場に取り入れる」こと。そのために、happyやhappiness、Well-being(ウェルビーイング)など、幸福にまつわることを探しまわっていた。そして、映画『happy-しあわせを探すあなたへ』に行き着いた。amazonで映画を観ていて、エンドロールをじーっと見ていたら、「あれ?日本人の名前がある」と気がついた。「Eiji Han Shimizu」で検索して、『トゥルーノース』が翌月より劇場公開であることを知り、同時に6月6日のzoom会の開催を知った。なんとしてでも参加したいと思ったのは、どうしても聞いてみたいことがあったからだ。

私は富山県の出身である。高校までは富山の、海には車で30分ほどの町の中で生活をしていた。北朝鮮に拉致された横田めぐみさんは私の1歳下。一度もお会いしたことはないが、年齢が近いこと、彼女が新潟で拉致されたことで、何となく「拉致されたのが自分であった可能性もある」と思うことがよくあった。1987年に起こった大韓航空機爆破事件に驚き、金賢姫氏の書籍を読んだり、ドキュメンタリーを見たり、どういうわけか北朝鮮問題はいつも私の頭の隅っこに居た。その理由は今もわからないが、そんなわけで、この映画にも強い関心があった。

どうしても質問したかったのは、「この映画を作ることで、身の危険を心配しなかったのか?」。イベントの中でいただいた回答は、「遺書ではないが、万が一何かあった時のメモ(通帳がどこにあって、暗証番号が何番で、みたいな)は書いた」「コストの関係で3Dの映像作成がインドネシアだったので、Air Asiaの乗り換えにクアラルンプルを利用していて、少しハラハラしていた」と言うような回答をいただいた。そして、映画を作った背景に「自分がやらないといけないことだった」と言う、監督の今までの生き方を聞いて腹落ちした。自分にしかできないこと、に躊躇なく(躊躇しながらも?)進んでいく、彼の生き方が本当に羨ましかった。

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普通の生活をしていた市民がある日突然強制収容所に連れて行かれる。思い当たる理由がわからない場合すらある。日本人にとってみたらとても些細な理由で親戚一堂が連行される場面もあり、本当に驚いた。日本の中高生がこの映画を観たら、当たり前の幸せにに自分がいるとわかるシーンだ。そして、家族についても考えさせられた。自分だけの表面的な幸せは、家族全員が喜べないので幸せとは言えない事例がソコにはあった。(映画の内容については、書けないので、ぜひ、映画館に行って欲しい。)

最後に、どうして、そんな質問がしたかったか、をお話ししたい。私は「怖い」を克服する術を知りたかったのだ。失敗を恐れて、ほんの小さな新しいことをするための一歩を踏み出せない自分がいつもいた。そしてそれは、どうも私だけではなく、多くの日本人、とりわけ中高生も含んだ若者に多いと言う気がしていた。私は学校や社会人の方々に授業や社員教育、自分の体験をお話しすることがあるのだが、オンラインやチャットでは質問できるが、声に出して質問できない人が多い。そして、清水氏のイベントでも声に出せる人が少なかった。清水氏は最初から「日本人は、声に出すのが苦手な人も多いですが、ぜひ声を出してください」とおっしゃっていた。私は、60名ほどの参加者のいる中、最初は、「若者の監督への質問の機会を奪ってはいけない」と思って、声を出さなかったのだが、なかなか質問をする人がいないので、「ラッキー!」とも「もったいないなあ」とも思いながら、確か2番目に質問したと思う。

「怖い」を克服するものは、自分にしかできないと思う使命感と、それを達成した後の自分の姿を想像できること、かもしれないな。「そんなこと思っていたの?」と監督は言うかもしれない。監督の経験している「怖さ」と同じ体験を私がすることはなかなかないだろう。しかし、こんなすごいことをやり遂げた日本人がいることを知っているだけで、映画を観た人はロールモデルを手に入れることができる。質問をするのに手を挙げる、電車で「お席をどうぞ」と言う、階段で困っている人に「手伝いますよ!」と声をかけるのが怖い日本人、が「そっか、このくらいならやってみようか」って、小さな恐怖に打ち勝つために、清水監督を思い出すのも良いのではないか、と勝手に思ったのだった。(何をするのも怖くない人は、そのまま自由にすすんでほしい。そして、怖さを気にしないスベを少し、近い人に教えてあげてくれると嬉しいな!)

zoom会の数日後に赤ちゃんが生まれる予定とお話をされていた清水監督。もう、ご対面となっただろうか?きっといろんな影響を受けて、その子は父のような、あるいは全く違った道を歩み、いつか彼も子どもの背中を、目を細めて見るんだろうな、と話を聞きながら思った。(「おめでとうございます!」)

「南北朝鮮が統合されることになった時、強制収容所が12万人の収容人員もろともをなかったものにしてしまう可能性がある、それを阻止するためにも、この映画を作った。」と、清水監督。尊敬しかない。すごい、なんて軽い言葉では言ってはいけない気がした。けど、凄い、スゴイ。かっこいい。

私が現在企画中の教育事業に、日本中の子どもたちに「本物の話」を聞かせてあげるものがある。「透明の箱」の中にいることを知らない、日本の子どもたち。そして、私もそうだ。いつか、私たちの全国授業で、ぜひ清水ハン栄治監督にはお話をしていただこう、と勝手に決めたのであった。

どうぞよろしくお願いいたします。

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※写真は公式サイトより引用させていただきました。



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