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【書評】きらきらひかる 江國香織

最近はもっぱら行動経済学に傾倒し、こむずかしい理論に手を焼いていた。

結論、ヒトの意思決定は、自分では合理的に判断していると思っているらしいが、じつは無意識に好き嫌いで判断しているらしい。
実に人間らしいではないか!!笑
社内政治が色濃く出世に反映する会社などは、上の顔色をうかがい、YESマンなどと揶揄される手法は、実は”合理的な”振る舞いだということである。奥が深いなぁ。

さて、ちょうど会社の知り合いと本のことについて話す機会があり、自分では手に取らないジャンルの話を楽しそうに話すので、物は試しと江國香織の本を買って読んでみたので書評したい。

読みながら、いろいろと懐かしい記述に気づく。
ポケベルが鳴ったり、電話機のコードを伸ばしたり、公衆電話があったり。初版が1994年とあるので実に25年前に発刊された本だそうだ。
いまでこそ、LGBTという言葉の出現が表すように、「好み」の多様化は世間に受け入れられてきたが、25年前はそういった自由はないものとされ、作中の夫婦のように世間的な体裁や円満を取り繕う夫婦も多かったのかもしれない。

笑子は”情緒不安定な精神病”を持ちアルコール依存症な翻訳家、睦月は潔癖症で恋人がいるホモの内科医。そして睦月の恋人の大学生の紺。
これだけ読むと頭がクラクラするけど、睦月の母親はどこまでも優しい。

一生独身を決め込んでいたホモの息子が、やっと好きになった女性なのだ。セックスなしでも構いません、と言って僕の妻になった女に、おふくろが優しいのは妥当である。逃げられでもしたら一大事だと思っているのだ。
”医者なんて信用商売なのよ。いつまでも独身じゃぐあいが悪いでしょ。”

当時は至極まっとうな意見だったはずだ。しかしいま、世間の目やあるべき姿を押し付けることを聞くとちょっと胸が苦しくなる。


この夫婦は結婚するときに決めたルールがある。それは恋人を持つ自由のある夫婦でいるということ。
笑子はよく紺の話を聞きたがる。
「紺は、いたずら好きでそれも友だちではなく、一般市民をターゲットにしてしまうんだ。毎回困ってしまうよ。それで笑子の方はどうなんだ。」
「睦月だけでたくさんよ。はい、ベットの用意ができました」と笑子は強がりその場を離れ別の部屋に行く。
しばらくして部屋に行くとこうこうとあかるい電気がついた部屋でクッションの上にぺたんと座る笑子の姿。黙々と紙に色を塗っている。
すばやくウィスキーの瓶を確認するとさっきまで3/4ほど入っていた液体が1/3になっている。躁状態の完成である、あちゃちゃ。

翌朝は何もなかったように生活ができてしまうのは女性特有の切り替えの速さなのか、発作が収まったのかは定かではない。

「あっちのお義母さんから電話があったわ」笑子は人工授精を勧められた。
「どうしてこのままじゃいけないのかしら。このままでこんなに自然なのに」

さっきまで気丈だった横顔がもうたよりなくゆがんでいる。白くて小さくて弱々しい。睦月は気づいている。自分が笑子を追い込んでいることを。しかし自分ではなにひとつ力になってやれない。

複雑な夫婦関係に違いないが、この物語から浮かびあがる愛とは、私が考えている愛とは別物みたいであって、全く別物とも言い切れない不思議な感覚であった。

もう一つ愛について考えさせられる、両家の家族の前で言い放った笑子の一言がある。

睦月が紺くんと別れたら私も睦月と別れます。

睦月は紺くんがいないとだめで、そんなだめな睦月はこっちから願い下げ!というわけである。裏を返すと、この関係を認めてあげてと妻が願っている。そのほうが私達にとって自然なことなのだ。いろいろな愛のかたちがあるものだ。


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