ニューヨークが生んだ どこまでも愛おしく 皮肉めいた問題児であり 史上最も偉大な作家の1人である ジェローム・デイヴィッド・サリンジャーに捧ぐ



『1番 キャッチャー サリンジャー』


最高の作家を一人あげる時、真っ先に思い浮かぶのがJ.D.サリンジャーだ。


僕と彼の出会いは大学を卒業して間もない頃であった。

千葉県のある書店に陳列された本のタイトルを見て、なんだかおもしろそうだなと思って手に取ってはみたが、その時は結局買わずに店を後にしたのが懐かしい。


あれから二度の四季をまたいだ僕は、学生というハエのように軽い肩書きの代わりに、社会人という象のように重い肩書きを背負って日々を送っていた。


ある日、横浜に住む地元の同級生宅へ行くと机に一冊の本が置いてあった。

「お前を待っていたぞ」と言わんばかりに……


その日、あの本と再び出会ったことをある種の啓示のように感じた僕は、翌日の仕事終わりに南青山のとある本屋から『キャッチャー・イン・ザ・ライ』(邦訳『ライ麦畑でつかまえて』)を連れて帰ってきた。もちろん、お金を払って。


読後の感想としてはなんだか腑に落ちなかったというのが正直なところだ。

この時、僕の心はまだ‘‘つかまえられていなかった’‘のだ。


ふた月ほど前、古本屋で短篇集を買って読んだ。

この本は『キャッチャー』を買った日に、青山の書店にある外国人作家コーナーで目にして以来気になっていたのだ。ただ、『キャッチャー』が肌に合わなかった時のことを考えた僕は、その時に短篇集は連れて帰らなかった。

手持ちの現金が千円ピッタリであったという事実上、そうせざるを得なかったというのが正しいのかもしれない。



読み始めは半分疑うような気持ちだった。

「どうせまた、ベチャベチャと語り倒すだけの本だろう」と。


「BAN!」

その短篇集は僕の疑心に満ちた心へと、1編目の「バナナフィッシュ日和」が撃鉄を起こした。作中のオートギース7.65口径オートマチックがそうしたように。

タイトル通り9つの物語が結集したこの短篇集『ナイン・ストーリーズ』は、もはや芸術品といって過言ではないだろう。

ひと月前、『ナイン・ストーリーズ』の凄まじさに、いや、サリンジャーがつくりだした圧倒的な世界に引き込まれた僕は眠りから目を覚ますように『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を再び棚から引きだした。

再読を終えてみて、「なぜ気付かなかった、このウスノロ野郎!」と自分を責め立ててしまう程の衝撃がそこには存在していた。

あれ以来、僕の心はサリンジャーという作家にキャッチされてしまったのだ……


僕が歴代、現代の小説家で集めた野球チームをつくって監督を務めることができるなら、きっとこう言うだろう。

「1番 キャッチャー サリンジャー」。



さて、最近やっと邦訳されたサリンジャー作品のすべて、正確には彼が生前に本のカタチで出版した作品と、『STORY』、『The New Yorker』といった雑誌に掲載された作品のいくつかを読み終えたということで、ざっくり紹介をおこなっていこうという次第であります。


もっともサリンジャーは解説やあとがきの類をひどく嫌った作家であったため、この記事を書く、という僕のささやかな試みについては雲の上で妥協していただく他ありませんが(笑)


『The Catcher in the Rye』by J.D.Salinger (1951) 邦『ライ麦畑でつかまえて』野崎孝訳(1964)


言わずと知れた、アメリカ文学の金字塔『The Catcher in the Rye』(1951)は、主人公である17歳の少年ホールデン・コールフィールドの1人称で語られていきます。

初読の際、筆者はその語り口に含まれるユーモアと機知に「なんともめんどくさいガキだな」という印象を受けました。ですが、ホールデン少年はただの‘‘めんどくさいガキ’‘ではありません。

潔癖症、皮肉に満ちた言動といった彼の宿痾は、インチキな世の中から必死に自分を守り抜くための手段であるのだと強く思います。


ニューヨーク マンハッタンのユダヤ系の家庭に生まれたサリンジャー。

高校、大学へ進学した後、1942年に勃発した太平洋戦争において彼は自ら志願し陸軍に入隊することになります。


都会的で華やかなマンハッタン生活ライフと抑圧的で命懸けの軍隊生活、相反する2つの世界を経験したサリンジャーは1949年、この作品に着手することになります。


1950年、戦後における高度経済成長の真っ只中にあったアメリカでは、高等教育の発展に伴い若年層という市場マーケットが生まれました。


これにあわせて、ロックンロール、アメリカンニューシネマといった様々な若者向けのカルチャーが拡充していきます。


そんな中、1951年に出版された『The Catcher in the Rye』は、一大センセーションを巻き起こしました。

当時、主人公のホールデン・コールフィールドに自己を投影する若者が続出するなど、サリンジャーは激動の時代における代弁者として、その名を世界に轟かせました。


この作品が後世に与えた影響はいうまでもなく、トルーマン・カポーティ、フィリップ・ロスを始めとするアメリカの代表的作家から、小説家の村上春樹(『キャッチャー・イン・ザ・ライ』のタイトルで2003訳)、映画俳優、監督であり、エッセイストの伊丹十三、ロックバンド「踊ってばかりの国」など、日本でも数多くの人にその影響を与え続けています。


何が言いたいかと言われますと、「とにかくすごいから読んでよっ」ということです。

一作ずつたっぷりと、サリンジャー的に言わせていただくのなら「作中の登場人物の服装についてひとつ、ひとつ、しわを一本一本描いてもいいということになったら、どんなにすばらしく都合のいいことになったであろう」と言いたいところですが、ここからは前に書いた通り、ザックリと紹介させていただきます。おなか空いたんで。


 『Nine Stories』by J.D.Salinger (1951) 邦『ナイン・ストーリーズ』柴田元幸訳(2009)


筆者は柴田訳と野崎訳の両方(どちらも素晴らしく何度でも読み返すことになるだろう)を読みました。

野崎氏のあとがきより引用させていただくと、

―作者の鋭敏で繊細な感覚と緻密で周到な計算が造り上げた作品は精巧を極めたガラス細工のよう―

いや、本当にその通りです。まさにこの作品に‘‘うってつけ’‘の比喩です。9つの物語、そのどれもが叩いたら壊れてしまうくらいに繊細なのです。

特に「バナナフィッシュ日和」(邦題 柴田訳)(「バナナフィッシュにうってつけの日」野崎訳)は圧巻。それから、筆者の好きな「笑い男」、「テディ」などのどれもが超一級の短篇小説のため、これまた読んでほしいです。筆者にとって『ナイン・ストーリーズ』は何度も繰り返しみてしまう映画のような作品なのです。

サリンジャーは映画のことをあまり好意的とはいえない姿勢スタンスをとっているため、また、いささか軽い比喩であるため、彼の気分に害をきたすかもしれませんが(笑)


『Frany and Zooey』by J.D.Salinger (1961) 邦『フラニーとズーイ』村上春樹訳(2014)

サリンジャーを語る上で欠かせないのが、グラース家の7人兄妹。こちらもひとり、ひとり……と語りたいところですが、ここは賢明な判断といきましょう。

物語は次女であり、グラース家の末っ子である「フラニー」(同名タイトル)から始まります。サリンジャーが得意とする雑誌『The New Yorker』風の都会的で歯切れの良い文章が気づくとエンディングを迎えてしまう。 しかし、本書に差し込みという形で付けられた村上氏の作品解説にあるとおり、エンジンはまだほどほどにしか踏み込まれていないのです。

そして、暖まったエンジンの回転は跳ね上がり、サリンジャー的饒舌は5男「ズーイ」(同名タイトル)で勢いよくコースへと飛び出していきます。

作中では次男であり、小説家のバディがホームムービーを撮影しているという設定のもとに語られる。

フラニーとズーイのかけあいにはいささか宗教チックな趣きが見られつつも、

「他人がどうこうなんて、そんなことを考える権限は君にはないんだ。本当にその通りなんだぜ?」

という、兄であるズーイから俳優の道を志す妹フラニーへと送られる愛のあるメッセージなど、読んでいて心温まる会話シーンが魅力的な作品です。

また、前述の村上氏の作品解説書(本書付属)は、イラストレーターの和田誠氏によるポップで愛らしいサリンジャーと村上氏がお互いを見つめ合うかたちで描かれている。

筆者はそこに描かれたサリンジャーの視線に「おい、村上。余計なことをベラベラと語ってくれるなよ」という意図が含まれている気がするのは気のせいだろうか。

天国にいる和田誠さん、いかがでしょうか?



『Raise High the Roof Beam,Carpenters, and Seymore An Introduction Stories』by J.D.Salinger (1963) 邦『大工よ、屋根の梁を高く上げよ シーモア―序章―』野崎孝・井上 謙治訳(1980)


この作品では先述の「バナナフィッシュ―」で主人公として登場するグラース家の精神的支柱であり長兄のシーモア・グラースについて、作家であり弟のバディが語っていきます。

また、シーモアが前述したフラニーとズーイの2人と血縁関係を結ぶのも本作であります。

サリンジャーは『フラニーとズーイ』以降、作品中に宗教的な色を漂わせてきますが、この作品においてその色彩はより濃く描かれることになります。それまでのストーリー性のある作品とは違い、好き嫌いは大きく分かれそうな作品ではあることは確かです。

筆者はこの作品で読んだ、いや聴いた「声」に非常に強く心を打たれたため、ここに記させていただきます。

作中でシーモアは弟バディに宛てた手紙の中でこう語ります。


「おまえの星たちはほとんど出そろったか?」

「おまえは心情を書きつくすことに励んだか?」


と。
筆者は現在自身の1作目となる小説を執筆中です。書くという行為は物理的に肉体を酷使する作業ではありません。しかし、非常にエネルギーを要する作業であり、挫けそうになってしまうことも多々あります。

そんなとき、シーモアの「声」は彼がグラース家にとってそうであるように精神的支柱となって支えてくれるのです。

たしかに、この作品はそれまでのストーリー性のある作品とは違って好き嫌いは大きく分かれそうな作品であることは確かです。

ただ、サリンジャーが「わたしの分身にして共同制作者」とよぶ次兄のバディを通して読者に伝えようとする「ヴォイス」がより高く、大きく、遠くまで響きわたっている作品であることも確かであります。



『Hapworth 16,1924』by J.D.Salinger (1965) 邦『このサンドウィッチマヨネーズ忘れてる/ハプワース16、1924年』金原瑞人訳(2018)


雑誌『The New Yorker』に掲載されたのみで、作家自身が望んだものの、単行本として刊行されることのなかった作品です。

この作品は『ナイン・ストーリーズ』、『フラニーとズーイ』、『大工よ、屋根の梁を高く上げよ シーモア―序章―』と続いた「グラース家サーガ」の最後の1編であり、サリンジャーが発表した最後の作品になります。


7歳のシーモアが、次男のバディと訪れたキャンプ地ハプワースでの16日目に綴った家族宛ての手紙についての中編小説という内容。

筆者が思うに、貴重なのは弟バディを通してではなく、シーモア自身の「声」をもって物語が語られるところにある。

筆者が7歳らしからぬ、と言ったらサリンジャーはきっと「俗世間がいうところの『一般的な7歳』というステレオタイプに当てはめられて齢7の年頃を泥団子やセミ捕りに時間を費やしたおまえに何がわかる」と激怒してしまうであろうことを踏まえた上で、言わせていただきたい。「こんな7歳はいない、もしいるとするのなら、そいつが人間の7歳でないことだけは確かだ」と。


発表当時、「サリンジャーはとうとう狂った」などといった批判もたくさん受けた本作ではありますが、遺作となったこの作品からも、筆者はサリンジャーが伝えたかったことを感じ取ることができたという気でいます。「おまえに何がわかるんだ」と彼は言うでしょうが……



2010年、サリンジャーはニューハンプシャー州コーニッシュの自宅にて91年という長い俗世間での暮らしを後にしました。老衰でした。

若くして死を迎えるアーティストが多い中、東洋哲学の思想に深く足を踏み入れながらもわたし達読者に、その「声」を届けてくれたことに深い敬意を表し、また、この偉大な作家が遺した作品がより多くの人に届いてほしいという願いを込めて、


Jerome,
Thank you for putting up with me.
I know that you still writing in another world.























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