『パイデイア』は人気のファミリーレストランだ。格安で多国籍料理をふるまう。十余年前から、市内を中心に全国へ、あっという間にチェーン展開を果した。臨海区の工業大学をでた創始者は、若き日、就職氷河期にあえぐ街を出て、海外を放浪した。各国で小銭稼ぎに勤めた飲食店のレシピを覚え、それらの味付けを統合する化学式を組み立てた。知人の飲食店を間借りしながら実験を繰り返し、やがて経営に関しても合理的なシステムを作り上げ、はじめは街の南端、みのり区の新興住宅地の駅前に店舗を出した。生活のなかにAiが侵食するにつけ、彼の実験は容易に進んだ。より効率化が図られた。店舗を拡げる。オリンピックを終えて限界集落化した、高齢者ばかりが住む住宅街。地価の下がった土地へ出店する。賃料が安い分、店舗を中心に無料の送迎バスを組織した。いずれ送迎バスは無人の自動運転となり、よりコストが下がった。バスには身寄りもなく、日常の買物にも困難する高齢者が集まる。ときには介護者を伴い、皆がパイデイアに集まり、死なない為に食事をする。パイデイアは老人の寄り合い所となり、辛うじて支給されている年金を使い、世界中の食を楽しむ。大仰な飛行機旅をする必要もなく。2020年代中盤には、接客は全てロボットが行う体制が整った。ロボットの胸にある大きなタッチパネルには、数種類に絞られたコースメニューが表示される。たくさんの選択肢は客を混乱させるし、仕入れも不安定になる。格安で、良質な食材の提供のために、メニュー選びの煩わしさを捨てた。思考が曖昧になりつつある高齢者でも、2、3回タッチパネルを押せば風変わりな多国籍料理のコースを楽しめる。アトラクションとして、無作為に通される各テーブルに様々な国の名称をつけ、その国由来の調度品を飾り、サービスメニューを作った。例えば、コンゴのテーブルに通された際、コンゴ料理のコースを選択すると、サービスとしてコンゴにまつわる料理が一品サービスされる。客たちは、どのテーブルに通されるかワクワクしながら来店し、お気に召したらその国のコースを頼み、サービス品を楽しむ。客から思考を奪うことで、次回の来店を促す。つぎはどこの料理を食べられるのだろうか?死ぬまで訪れることのない国の料理を写真に撮り、近隣住民や、同じ介護施設にいる仲間に自慢する。パイデイアは、この街のマジョリティ、高齢者によって潤っていた。

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いよいよパイデイアが、蓮実区にもやってきた。ニュースで見た。マンヲジシテ、出店したって。蓮実区にあるおんぼろの団地のなかで、いっぺんに5店舗も。いちど、臨海区にあるパイデイアに行ったことがある。おれは臨海区のスタジアムへ野球を見に行って、そのなかに入っている店舗に行った。おれはドイツテーブルについて、ジャガイモや白いソーセージをたらふく食べたけど、スタジアムのホットドッグより安くて旨かったから、はやく蓮実区にも出店して欲しかったんだ。すぐに行列が出来たから、おれはわざわざ予約した。給料日は家族で飯を食うから、その日に。エスミにも伝えた。この金曜日は外食だよ。
金曜夜、あしたは休み。家に帰ってシャワーを浴びる。せっかくの外食だから、体にこびりついたタールの匂いをできるだけ取りたい。
シャワーをでるとエスミはちゃんとオメカシしていた。
柴街道沿い、パイデイアの駐車場にはマイクロバスや車が集まって、警備ロボがバタバタしていた。おれたちも車列で待つ。予約は入れてあるから、時間がくればロボットがくる。おれの会員ナンバー。すぐわかるさ。
予約時間の5分前にロボットは猛烈なスピードで交通整理をして、おれたちの車を通してくれた。店内に入るとき、おれはシャワーを浴びたけど、タールの匂いでエラーにならないか、少し心配だった。

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オリンピックが始まる頃から、静かに問題化した。国内の各所に突如、真っ黒い物質が現れ、建造物や路上を汚した。正体は不明だった。はじめ、名所旧跡に現れたため、隠蔽することは出来なかった。やがて民家にも同様の被害が起こり、道や古くからある公共施設にも、その現象が起きた。粘つく黒いものは、簡易的にタールと呼ばれた。それは匂いも伴い、公害になりかねなかった。オリンピックがひと段落したころ化学的な解析により、成分が判明した。単純なものだったので対策は楽だったが、出現した理由や、範囲の広さは謎のままだった。
比較的駆除対策は安易なものだったので、公営民間問わず、駆除業者が大量に生まれた。始まりは民家からの発注が多かったので、駆除技術を得たハウスクリーニング業者が多く参入した。数年後、2020年代半ばには民家などの小口の被害は駆除されつくしたが、継いでじわじわと、老朽化した公営施設、教育機関がタール塗れとなった。業者は次第に淘汰、合併され消えた。大資本傘下に入った幾つかの会社が残り、仕事にあたった。

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スイステーブルで、サービス品の透明な酒を舐めている間も、おれはタールの匂いが気になったけど、酔っ払って忘れられたし、エスミの漏らしているウンチの匂いも気にならない。パイデイアは防音も防臭も完璧で、夜の経済番組で社長もそう言ってる。テーブルにつけられたモニターで流れてるんだ。誰も傷つかないようなお店を目指してるって。これが経済番組か。忙しくてはじめてみたよ。エスミは、さっきまで流れてた牛が解体されるCGを観て興奮してる。面白かった。おれは少し嬉しくなって、ロボットを呼んでパネルをタッチした。おれとエスミとスイスの料理を撮ってくれるし、おれの会員ナンバーを伝えてあるから、世界に向けておれたちの晩を広めてくれる。見知らぬ誰かが見てくれるんだ。ロボットはチーズの減りを心配してくれる。だけどおれはチーズに飽きてしまって、コース外の「なめろう」を追加注文しようとしたら、パネル全体に警告がでた。
《タール線量 過剰 危険》
バカ野郎、おれはさっき、シャワーを浴びて、エスミだってにこにこ……にこにこ……

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パーティの晩の記憶がある。オリンピック後、彼は廃れて活力を失いつつある蓮実区に、別荘を設けた。細心の注意を払い、呼ぶ人間を限っていった。今夜は、自分より若い飲食店チェーンのオーナーと会う。車椅子は歩くより早く、パーティの日に踏み潰された声帯はもはやいらなかった。今夜は彼と、新たに作る美術館について話し合うのだ。いくつか開館に携わった美術館は、タール塗れになって使い物にならない。タールが何処にあらわれるのか、漠然としたデータしか集まらないが、蓮実区にはタールが少ないと結論された。愛するこの街のなかでは。

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会社に入ったころ、蓮実区の団地はタール塗れで仕事も多かったけど、最近は仕事もない。支店はどんどん閉まって、おれも東京本店に移ろうかと思う。東京はまだ、むしろ一層タールが出てきて、仕事が一杯あるらしい。蓮実区からなら通える距離だから、エスミ、しばらく我慢してよ。エスミは言葉にならない音を出し、糞を漏らしたが、匂いはすぐにパイデイアの空気清浄システムに吸い込まれてゆく。ただ、エスミが、ゆっくりタールに塗れて黒くなっていった。ロボットがリンツチョコをテーブルに吐き出し、パネルに会計が映し出された。

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