特性のない街のスケッチ

この街の駅舎は、かつて少し離れた場所にあった。鎮守神社の参道が始まる場所に、かつてこの街の駅舎があったが、爆撃で消えた。焼け野原のあと、ならず者達がその一帯を占拠し、泣くなく駅舎は移転した。敗北から産まれた駅舎がこの街の交通の要となった。ならず者たちは占拠した街で春を営んだ。つぎつぎに性風俗店が林立した。そのなかを一筋の川が流れる。風俗店の排水が流れ込み、男どもの精液や女どもの分泌物を糧にして、巨きな鯉が気ままに泳いでいる。頭上には鉛色の吊り下げ式モノレールが馳せる。いまや誰も利用せず、毎年赤字を撒き散らしながらモノレールは市役所へと向かう。埋め立て地にある市役所へ向かう間、新たな駅舎を中心とした市街地をモノレールは睥睨する。ありきたりな商業施設。いくつかのデパートがここ数年で閉まった。唐突にひとつ、タワーマンションが現れる。どんづまりの地で急な富を得た者の住処。すでに草臥れた塔。少し離れた小高い丘に城郭がある。歴史の表舞台に立つこともなく、臆病にひっそりとこの地を治めていた者が、かつて住た城だ。往時の城郭はとうの昔に朽ち果て、新たに作られたプラスチックのような城の天守閣はプラネタリウムとなっている。そこで若者は大麻を吸いながら模造の星々を見る。ふもとでは子どもたちが教師に連れられて、偽物の城郭を画用紙に描いている。
近くに、県庁がある。夕刻には職員たちが排出され、駅まわりの飲み屋でクダを巻いている。そこかしこの飲み屋で、日中の力関係が維持されたままの、退屈な論議。ときおり胸ぐらの摑み合い。未消化で遺恨がくすぶる喧嘩は、明日へのスパイス。殴るほどの勇気はみな持ち合わせない。暴力は本職の領分として、黒いTシャツを着た若者へ仮託される。半グレ。ダサいナンバーのハマーに乗った若者と、品川ナンバーのベンツ。植民地。
駅周辺の商業地から離れれば、住宅街となる。古くから住む者と、新たに住み着いた者が同じような形の家々に帰る。東京のベッドタウンとしてはいささか遠い。県内の、より東京寄りの新興住宅地が発展していく様を横目で見ながら、県庁所在地としての捻れたプライドを捨てきれない。この街は半島の中央にあり、南へ降りれば太平洋があるが、それは市外。この街に臨む海は黒く濁った東京湾で、それに沿って稼働する工場や発電所の光が、夜の空を赤く染める。そのなかを夜昼となく飛行機が飛び交う。
県内にある国際空港を起点として。

青魚を行商する老婆や、リアカーを引く浮浪者が、この街で唯一歴史を背負う異物だった。

この街は歴史が断然している。

けれども新しい歴史はうまれて傷を残す。街の隅々に、新たに生まれた暴力の痕跡が残る。高架下、コンクリート壁に暴走族の落書き。けれど、学校の窓ガラスが割られ尽くしたのも遠い記憶で、いまや若者自体、すくない。

短距離の歴史。

年齢別の人口分布がより高齢に偏っていく。かつて街の中心に、巨大な旅客船を模したラブホテルがあった。そこを通る子供達は、あのお舟はなあに?と親に問い、気まずい空気が漂った。その跡地は巨きな斎場となり、風俗街の表玄関、手つかずだった土地に納骨堂が建った。ソープランドの錆びれたネオンより明るく、納骨場のLED看板が光る。
いずれ落書きも消えてゆく。

まだ景気の良かった頃、鎮守神社はリニューアルをした。目に痛いほど軽薄な朱色になり、由縁も定かではない菅原道眞を祀って、受験生から賽銭をせしめた。この正月も初詣客に向けてテキ屋が立ち並んだが、屋台に貼られた布はしおたれて勢いはなく、それでも行き場のない人々は列に並び、新年を寿ぐ。
住む人を失った家には獣が住みつき、住宅街のなかハクビシンが道を横切る。遊具が撤去された公園には家庭ゴミが不法投下され、規模が縮小された法人は、不要になったコピー機を放置する。
よく訪れた近所の公園。
その近くの平屋で、若者が首吊り自殺の様子を、ネット配信した。首を吊った数分のち、帰宅した母親は取り乱し、救急車を呼んだ。事件現場のアドレスを叫ぶ。世界中に、ネットを介して我が故郷の住所が広まる。

かつてこの街で生まれ育った。国電のストを迎えうつため、街中央の公園に大量の機動隊が集結する。各々の部隊ごとにジェラルミンの盾に部隊章をあしらう。ありきたりの日常として楽しんだ。誰も見ていない。体育教師の暴力とセクシャルハラスメントに怯えながら、密告の恐ろしさを感じ、村社会で生きる嗅覚を鍛えた。誰も見ていない。

やがて、この街から離れ、歳をとった。
もう一度、この街を見据える必要を感じる。
乾いた眼差しで向き合うべきタイミングがやってきた。

サバービアでもなく、郊外生活者でもない。ましてや都市生活者でもなく。
ただ、囲いの中の人間だった。

おれの記憶のなかのあの街で、明るい色の花を見た記憶がない。偽物の城郭のした、白い桜。花壇のなかの紫の朝顔。血管色のサルビア。
川っぷち、泥塗れの緑の雑草。

花を探しに行きたい頃合いだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?