和毛駅から上り電車に乗り、瓜破(うりわり)本郷駅で降りると、中野は駅前のファストフード店で遅めの朝食をとることにした。今日は午後からキャンパスに行く。朝食のあと、駅前からのバスに乗り免許センターで免許を更新する。平日なのでそう混んではいないはずだ。こんな用事でも無ければ瓜破本郷に来ることは無い。
注文トレーを持ちテーブルへ着くと、離れた席にカップルが座っている。男に見覚えがある。勝村だ。中学高校の同級生だった勝村が、なぜ蓮見区の時化た駅にいるのか、不可解だった。

中野の実家はあまり豊かではなかった。小さく古い一軒家に家族四人で住む。歳の離れた兄は、中野が小学生の頃にはすでにグレて、暴走族に出入りしていた。実際にはパシリに近い存在だったが、シンナーを吸うと暴れた。家には寄りつかなかった。父親は兄と対峙することもなく、ひたすら存在感を消していた。仕事には打ち込んでいたが、結果が伴わなかった。母親は美しかった。遅く産まれた中野を溺愛した。ことあるごとに「あなたは特別よ」と褒め、励まし、向かうべき道を示した。ときには怒気もはらんだが「あなたのため」と言い続け、パートをしながら家計を支えた。

中学にあがる頃にはすでに、よい高校へ進学するよう母は焚きつけた。中野は期待に応えるため頑張ったが、学年の上位を占める宮野や森は小学校から進学塾に通っており、いつもその下に甘んじた。純粋な成績ではトップに行けない。その分は普段の素行でカバーすれば良いと、母に言われた。内申点。中野は規律を守り、教師に気に入られるよう努力した。校内では体育教師による体罰が猛威を奮っており、それに対して反抗的な態度をする者も多かったが、中野はそんな連中がひどく幼稚に見えるだけだった。勝村はそんな連中のひとりだった。隣の小学校出身。すでにバスケ部のエースであり、モテた。成績もよい。中野は勝村が嫌いだったし、ふたりに接点は生まれなかった。
やがて中野は推薦で、市内の進学校へ進んだ。臨海区にある高校は新設されて間も無く、伝統はないが自由な校風で、人気が高まっていた。そこに勝村も進学した。

高校に入ってからも、別段中野と勝村に接点は生まれなかった。中野は中学から続けていた水泳部に所属したが、勝村は帰宅部となった。帰宅部のなかでも目立つ集団に属し、バンドやDJをしていた。癖の強い髪を染め、同じように学年でも目立つ女子を自転車の後ろに乗せて通学していた。

中野は母の言いつけを守り、部活動だけでなく勉強も怠らなかった。結果、和毛区にある国立大学の工学部に合格した。勝村の家は裕福だった。東京の私大に入学し、この街を出たと聞いた。

それ以降、中野は勝村のことを思い出すこともなかった。奨学金を受け大学院に進み、そのままそこで研究者となった。母は喜んだ。研究者になってしばらくした頃、一家はかつての一軒家を出た。父母は離婚した。父と兄とはたまにしか会わない。母は和毛区の公団住宅に移り住んだ。中野も、通勤の便から和毛区のマンションで一人暮らしを始めた。

中野は勝村の性格や、世渡りのうまさから、てっきり東京で営業マンでもしていると思い込んでいた。派手好きな男だ。仮に実家へ戻ったとしても、実家のある栄川区ならともかく、蓮見区の瓜破本郷駅前、平日午前のファストフード店にいるのは奇妙だった。何もない駅だ。しかし、免許センター行きのバスが来る時間となったので、中野は声を掛けることもなく店を出た。そもそも仲が良い訳ではない。

免許センターで書類を記入し、証明写真を撮る。案の定空いていた。流れに従い講習を受ける。退屈な講習。その間、つい学生時代のことを思い出す。勝村を見たからだ。勝村は当時の覇気もなく、短く髪を刈り上げていた。

中学時代、一度だけ勝村に掴みかかられた時があった。
当時、ほとんどの生徒が性に目覚めた。一本のアダルトビデオが生徒の間を流通し、そこかしこで、親の目を盗んで鑑賞会が開かれた。中野も、水泳部の生徒とアダルトビデオ鑑賞会を楽しんだ。誰かがしくじり、ばれた。PTAで問題化した。
ある日の午後、授業を全て終えたあとで、急遽学年集会が行われた。みなを正座させて、体育教師の葛代が言った。
「おれの耳にはなんでも入って来るんだ。この中でアダルトビデオを鑑賞したやつは残れ」
学年集会は柔道場で行われていた。それはつまり、残った者に制裁を下すということだ。
大多数の男子生徒が残った。中野は、それ以外の男子と、女子生徒とともに教室へ戻り、部活へ向かう支度をした。
しばらくして、柔道場に残った男子生徒たちは暗い顔をして戻ってきた。廊下。部活に行こうとする中野に、勝村は掴み掛かった。

「てめえなにバックれてんだよ?葛代の犬コロだなてめえは?」

中野には内申点のほうが大切だったし、水泳部の練習に遅れる訳にはいかなかった。水泳部の顧問は、葛代先生だから。

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勝村は参っていた。目の前の女と、これからどうしたらよいか、考え過ぎて疲れていた。

大学は出たけれど、進路は見えないまま、実家にいた。昔からのつきあい。友人たちと、バンドを組んだりDJをしながら目先の金の為に日雇いバイトをしていた。ある日、父親を殴りつけ、そのまま友人とネバダへ行き、バーニングマンに参加した。新たな体験が自分を変えるような気がしたが、帰国したら祖父が死んでいた。現実。葬儀で、父親は目も合わさない。気に食わなかった。すぐに啖呵を切って家を出た。東京で暮らすと言って引越し業者を手配したものの手持ちに金はなく、地元の友人たちと遊ぶ利便性も考え、蓮見区の安アパートを借りた。かつての友人たちと、市内の繁華街やクラブを彷徨いた。ときにはライブやDJもした。金が溜まれば海外に行き、ドラッグを楽しんだ。やがて仲間たちも結婚や転居で会う機会が減ったが、入れ替わるように年若い友人が増えた。長年この街で過ごした勝村は、過去の体験を面白おかしく話したが、三十歳を越えたあたりから「老害」と言われ始めた。自分と近い歳で界隈にいるものは、すでに名が売れて活動拠点を東京に移すか、少しずつ実直な生活にシフトしていた。畢竟、数少ない同世代の者と会うときは傷を舐め合うような会話に終始し、それが悪循環を生んだ。いまや勝村は、話の長い、武勇伝まみれのおっさんとなっていた。かつて練り歩いた栄川区の繁華街にも、黒いTシャツを着た屈強な若者が幅を利かすようになっており、夜の萌葱町を歩くのが恐ろしくなった。みのり区に新しくできたクラブにも行ったが、若者同士が殴り合い、救急車が呼ばれた。若いねえ、と冷笑をしてみるものの、もう勝村に彼らのような勢いはなく、ただただ生の暴力への怯えを隠すのに精一杯だった。担架に乗せられた若者は、萌葱町のソープランドの客引きだった。いつもブツブツと俯いて呟いていた。
次第に勝村は仕事に力を入れていった。介護職。蓮見区は老人ばかりで、ようやく勝村は正社員となった。ある日、久しぶりに柴駅に降りた。改装されつつある駅構内。みどりの窓口にある旅行用パンフレットを吟味する母と鉢合わせた。それ以降、母とは連絡を取り合うようになったが、父親にはそれを伏せるよう頼んだ。かわりに、盆か暮には実家に顔を出すと約束した。たまに母は小遣いを渡そうとする。それを拒めるほどの胆力は、もう無かった。
勝村は孤独だった。そんな折、女が現れた。得体が知れなかったが、優しさに包まれ、ながらく元気の無かった性器に血が漲った。結果女は妊娠した。
女がどうしたいのかわからなかった。それ以上に勝村がどうしたいのかもわからなかった。ふたりで朝方のファストフード店に行き、はじめて父親にメールをした。

【盆に紹介したいひとを連れて帰省する】

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午後の業務を終えた。夕方からは、ゼミ生を連れて西柴駅の居酒屋で飲み会をする。中野は、しばし空いた時間、散歩した。大学を出て、柴氏の菩提寺を眺めてから、西柴駅に向かう。この近辺で一人暮らしをして十年弱。ただでさえ寂しい駅前はより寂しくなった。菩提寺を見下ろすような公団住宅に母は住んでいる。今夜もまたいつも通りの飲み会。居酒屋で飲み、カラオケに流れる。はじめゼミ生たちはいま携わる研究に関して、授業の延長のような質問を中野にぶつける。やがてアルコールが回ると、たいがいが恋愛絡みの相談になる。中野は年長者としてアドバイスをする。が、中野は童貞だ。

水泳部顧問の葛代は、常に「らしくあれ」と中野に言った。男らしくあれ。女らしくあれ。母もまた中野に
「あなたは特別だから、強いおとこになるのよ」
と言ってきた。
中野は強くあろうとしてきたし、無意識に、自分が強いちからを示せるような女性を交際相手にしてきた。しかしそれは長続きせず、様々なタイミングで「男らしく」なれなかった。本当は、母親のように強い女性に従属することを希んでいると、研究者の中野は気づいていたが、いつのまにか時は流れてしまった。

西柴駅に、警官が集まっている。近づくと、西柴駅沿いに祀られているお稲荷さまに立入禁止のテープが貼られている。刑場跡に置かれたお稲荷さまと、それを囲む松の木。祟りがあるといわれる一帯が何者かにいたずらされたらしい。警官や野次馬の肩越しに覗くと、べっとりと粘り悪臭を放つタールのようなもので、一角は真っ黒に塗られてしまっていた。

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