見出し画像

後悔

 この夏、大阪でいちばん暑い日ではなかっただろうか。
お昼のシフトに入ってくれていたRくんに、書類の受け取りとお昼のお弁当の買い出しをお願いした。
 ついでに、帰り道の途中のセブンイレブンで、抹茶入り葛まんじゅうを「頼むわぁ」とつけ足した。
「この間、Hくんがいつもの低音で『コレ、おひとついかがですか』とおすそ分けしてくれたのがメチャクチャ旨かったんや。ぼくなぁ、たっぷりクズがくるんでないともの足りひんのや。電動車いすで遠くまで行かれへんようになって、丹波屋のヤツが食べられへんさかい、ガッカリしとったんや。そんなぼくに、セブンのクズまんじゅうはピッタリやったんやぁ。近所のセブンへ行ったけど、けっこう売り切れてることがあるさかい、国道沿いの店やったら、デザート類が充実してるし、大丈夫やと思うわ」

 あいかわらず、ぼくは延々と葛まんじゅうを買うという行為にはまったく無関係なエッセンスをまき散らしながら、彼を送り出した。
 その日、彼は自宅から自転車で来てくれていた。
順調にコトが運べば、三十分ちょっとでわが家に戻るだろうと計算していた。

 いつの間にか、ラジオを聴きながら居眠りをしてしまっていた。
目が覚めて壁かけ時計を見ると、彼がわが家を出てから一時間一五分ほど経っていた。
 「しまった!」と、ベッドのマットレスにひじ打ちをくらわせた。
 もし、最初の店に葛まんじゅうがなかったらどうするか、伝えることを忘れていた。
まさに、「いらんこと言い」の典型的な失敗だった。
彼を送り出すときの会話で「けっこう売り切れていることがあるさかい…」と伝えたことを、ぼくの頭は勝手に「なかったらええでぇ」に変換してしまっていた。
自力で電話をかけられないぼくは、彼の帰りを待つしかなかった。

五分ほどして、帰ってきたグレーのTシャツの背中は、バケツで水をかぶったようにびしょ濡れだった。
 ぼくが謝ろうとすると、一瞬早く彼が切り出した。
「申し訳ないですぅ。四軒まわったんですけど、三軒が売り切れていて、一軒は発注していないって言われましたぁ」
いよいよ申しわけなくなって、小さな声で事情を説明(言いわけ)をして、「ほんとうにゴメンやったでぇ」とつけくわえた。

 二~三日して、ぼくと彼との関係性を思いながら「ぼくがヘルパーで彼が障害者だったら…?」と、立場を逆転させて考えてみた。
 彼は思いやりいっぱいのやさしい性格だけど、自分の気持ちを相手に伝えることがすこし苦手だ。
二人で過ごす時間は、仕事の悩みを聴いたり、音楽の話をしたり、おたがいの育った町の様子を話したりしている。
 
 ぼくがヘルパーだったら、「もしなかったら…」を訊ねてから、聴かれてもいないのに、つぎつぎとおススメや新商品の説明をはじめて、彼にうっとおしがられるかもしれない。

 興味が湧いたので、いろいろなヘルパーさんにぼくとの関係性を思い浮かべながら空想の物語を考えてもらった。
 あの日から、まだ時間が経っていない。
応えは少ないけれど、それでも、「最初の店になかったら、さっさと戻ります」から「かならず『ない』場合を想定して、いくつか候補を挙げてもらう」や、「もう一軒ぐらいは探す」などなど、ぼくとの関係性によって、なかなかおもしろい応えが返ってきた。

 応えはそれぞれに違っていても、とにかくぼくはぼくの気持ちを伝えることを忘れないようにしたいと思った。
 大事なことを忘れていた。
関係性ばかりを強調してしまったけれど、いちばんのポイントはおたがいの「その日の気分」ではないだろうか。

障害のあるなしに関わらず、定番メニューを選ぶ人もいれば、期間限定や新商品という言葉に弱い人もいる。

 「決めつけ」が幅を利かせる世の中であってほしくはない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?